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「豊臣秀吉の死」波瀾万丈だった62年の生涯の最期 家康たち家臣に、死の直前の秀吉が託したこと

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秀吉が死去した伏見城(写真: megane / PIXTA)
今年の大河ドラマ『どうする家康』は、徳川家康が主人公。主役を松本潤さんが務めている。今回は豊臣秀吉の死の直前の状況について解説する。
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甥の秀次が自害、秀吉が取った行動

文禄4年(1595)7月、豊臣秀吉は、関白職にあった甥の秀次を「謀反の疑いあり」として処断した。

高野山に赴いた秀次は、厳重な警備のもとにあったが、身の潔白を証明するために、自ら切腹した(7月15日)。8月2日、秀次の妻子ら数十名は、洛中引き回しのうえ、三条河原で斬首される。(過去記事:秀吉が後継者に切腹命令?「豊臣秀次の死」のナゾ 参照)

一方で、秀吉は諸大名に上洛を促し、我が子・拾(ひろい:後の秀頼)への忠誠と秀吉が定めた法を遵守する起請文(誓約書)を提出させている。徳川家康は関東から上洛、伏見にて秀吉と対面しているが(7月24日)、ほかの大名と同じく、起請文を提出している(毛利輝元・小早川隆景らと連名)。

起請文の第1条は、拾への忠誠。第2条は太閤様(秀吉)の法度を守ること。第3条は違反者の糾明。第4条は関東の政治対応は家康が、西国は毛利輝元と小早川隆景が行うこと。第5条は在京し、拾に奉公すること。万一、所用で国に帰るときは、家康と輝元が交互に帰ること。

家康と輝元らはこのようなことを誓約したのだ(家康が起請文に署判したのは8月2日)。

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