70歳3人組が応援団を再結成して痛感した現実 小説『おかげで、死ぬのが楽しみになった』第1話(4)

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「そうだな……」板垣が言い淀み、杖を握りしめる。「エンドレスエールでもやるか」

「いつものガンバレコールから始めないの?」

宮瀬が不思議そうに言う。

「いや、エールで」

板垣が言葉少なに返す。ずいぶん素っ気ない反応だ。52年ぶりの練習に、団長も緊張しているのだろうか。

「エンドレスエールってなんですか?」

「希、応援団にとって一番の武器は何だと思う?」

板垣が答えではなく、質問で返す。元教師の顔がちらりと見える。

「えっと、力強い動きとか?」

撒いた餌に生徒が食いついたとばかりに、板垣が答えを明かす。

「一番は──声だ」

「声?」

「想像してみろ。野球の試合中、選手はどこを見てる?」

「ボール」

「そう、全員ボールに集中してる。間違っても、俺のことなんて見てない。目が合う選手がいたら、試合に集中しろって叱り飛ばすぜ」

「はあ」

希さんが首を傾げる。

「俺がどれだけ力強く腕を振ろうと、試合中の選手の目には届かねえ」

板垣は空いている方の手で、自分の右耳をつまんだ。

「でもな、こっちは拝借できるだろ」

「ほえ」

希さんが大きな目を、さらに見開いた。

「声だけはいつ何時でも選手に届けることができる。応援団にとって最高の武器だ」

「エンドレスエールは、僕らのスペシャル発声練習なの」宮瀬が付け加えた。

「エールに合わせてひたすら声を出すだけですけど」私はさらに付け加えた。

現役時代は最低でも30分、長いと1時間以上も叫びつづけた。その甲斐あって、どの高校の応援団よりも声は通り、球場でもひときわ注目を集めた。

「やってみようぜ。あの頃みたいに」

板垣を頂点に三角形を作る。私は右、宮瀬は左、各々背中で両拳を合わせ、肩幅より一足だけ広く足を開いた。自然と顎が引かれ、背筋が伸び、骨盤が締まっていく。52年たっても、体が基本姿勢を覚えていることに驚いた。

緊張が、期待に変わる。

本当に高校時代に戻れるんだ

軽く息を吸ってみる。肺が一回り大きくなったようで、意のままに空気を取り込めた。酸素が脳に行き渡り、老眼鏡を新調したみたいに、視界が引き締まる。己の体感覚に頼もしさを感じたのは、ずいぶん久しぶりだった。

期待が、予感に変わる。

板垣が胸元に右拳をつけ、エールの構えを取った。左手で握る杖が地面にめり込む。公園中の空気が張り詰める。希さんがカメラを向けた。

「ミラクルホークスのおおお、勝利をねがってえええ、エールを送るううう」

板垣が右拳を斜め45度の方向へ、ゆっくりと広げた。

「よいしょおおお」

唸り声が地面から突き上がり、脳天を貫いた。一瞬で体中が熱くなる。大きく息を吸い、それを全て音に変えた。

「フレッ。フレッ。ミラクルホークス! フレッ。フレッ。ミラクルホークス!」

腰を反り、全身のバネを使い、声を張る。

酸欠で脳みそがじんじんと痺れる。

苦しすぎて気持ちがいい。

息継ぎのタイミングが徐々に重なり出す。

それぞれの声の輪郭が混ざり合う。

一人の巨大な人間となり叫んでいるかのような、圧倒的な力強さに包まれていく。
曲がっているはずの板垣の背筋が、雄々しく直立して見えた。

──本当に高校時代に戻れるんだ。

予感が、確信に変わる。

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