商談相手の心情を読むのが上手な人下手な人の差 働く人こそ「物語」を読んだほうがいい理由
私がここでお伝えしたいのは、物語を楽しむことで得られる副産物についてです。学校で物語文を読むことで得られるのは、小説を楽しめるようになることだけではありません。
人物像を読み取ること。場面、場面における登場人物たちの心情を読み取ること。その場の空気を読み取ること。これらが、物語文の読解から得られる力です。これらが読み取れるということは、小説を楽しめることの大切な要素でもありますが、それ以外にも実生活に生きる力となります。
『ごんぎつね』という物語、ご記憶にあるでしょうか。長らく小学校の国語の教科書に登場していた日本の物語です。ひとりぼっちでいたずら好きの子ぎつね、ごんは、年老いた母親と暮らす兵十にいろいろないたずらを仕掛けます。
ある日、兵十の母親が亡くなり、自分のいたずらのせいで兵十が母親の最後の望みを叶えてあげられなかったことをごんは知りました。それからごんは、罪滅ぼしのようにこっそりと兵十のもとに栗やきのこを届けます。
それらを神様からの贈り物と思っていた兵十は、ある日、うちに忍び込んできたごんに気づき、火縄銃で撃ち殺してしまいました。ごんに近づいて、栗に気づいた兵十は驚き、「ごん、お前だったのか、いつも栗をくれたのは」と言って後悔します。ごんは頷いて息絶えました、というお話です。
読解に正解・不正解はない
ある学校の国語の授業で、教師が
「なぜ、ごんはいたずらばかりするのか?」
とクラスに質問しました。多くの子どもたちが
「ひとりぼっちだから」
「さびしいから」
という趣旨の回答をする中で、ある子どもが、
「違うよ、ごんは悪い子だからです」
と答えました。
この子どもは母親と二人で暮らしていて、母親が働いている間は一人で過ごすことが多い子どもです。そしていたずらをすることも多い子でした。ごんと似た境遇なので、感情移入をしやすいのです。
この子は一人で遊ぶことには慣れていて、特段さびしいとか、自分がかわいそうな子だとは思っていません。周りに友達がいれば遊ぶし、大人がいれば普通に話すので、ごんも自分もたまたま一人の時間が多いだけです。そしていたずらをすると、「悪い子」と言われるのです。
この授業でのやりとりから、何を考えますか? ごんは悪い子だからいたずらばかりする、というのは、多数決により不正解、あるいは解釈として正しくないのでしょうか? この子どもは読解力が低いのでしょうか? ごんに境遇が似ている子どもの、「悪い子だから」という解釈をどう扱えばよいのでしょうか?
いたずらを重ねるのは悪い子、と言われているこの子どもの境遇自体の評価は置いておくとして、この子どもは、客観的に見ればやはりさびしいのかもしれません。その状況に慣れすぎて、多くの子どもが「さびしい」と思う心の状態をもはや「さびしい」と認識していないだけなのかもしれません。
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