ヘルスケアがプロダクトアウトではダメな理由 1万人調査から「人起点」のサービスを生む
プロダクトアウトの開発で生活者は置き去りに
――まずは、ヘルスケアのビジネストレンドについて教えてください。
山内 少子高齢化に伴い、政府は健康寿命の延伸を打ち出しています。この影響は非常に大きいですね。そこを解決しないと未来がないという危機感から、社会的責任を果たそうというところも含め、ヘルスケア領域以外の企業が多数参入してきている状況です。
平山 一方、いろいろなサービスを展開しても、思いのほか浸透しなかったり、継続利用されなかったりという状況があります。「でも、どうすればいいかわからず、次の手が打てない」と感じている企業は多いと思います。
萩野 とくに健康増進系のサービスにおいて、「病気を治す」以外に何が望まれているのか明確な定義ができていないように感じます。最近注目されている「ウェルビーイング」にしても、WHO(世界保健機関)による「健康」の定義である「病気ではないとか、弱っていないということではなく、肉体的にも、精神的にも、社会的にもすべてが満たされた状態」※1の中に登場する言葉ですが、それを実現するためにどのようなアクションが必要か、具体的に提示している例はあまり見えません。
平山 私自身もスマートウォッチをつけていて感じますが、歩数や睡眠時間を計測しても、それで何をすればいいかわかりませんし、トータルで活用したいというニーズを支える仕組みはあまりないのが実態です。
山内 本来、「健康」は非常に幅広い概念なのに、ヘルスケアサービスを扱う企業の多くは機能や効能ばかりを打ち出してしまう傾向があります。実際に、どう使われるかというところまで設計しきれていないので、どうしても企業視点のプロダクトアウトになってしまい、生活者が置いてきぼりになっていると感じます。
※1 世界保健機関憲章前文(日本WHO協会仮訳)より
「頑張らない」を前提としたサービスが必要
――電通グループでは、生活者の健康意識・行動定点調査「ウェルネス1万人調査」を2007年から16年連続で実施しています。ヘルスケアサービスの多くがプロダクトアウトになっているという指摘は、この調査から得ている知見によるものでしょうか。
山内 電通グループの社内外ネットワークも大きいですが、「ウェルネス1万人調査」によって、企業側とリアルな生活者の意識・行動に乖離があることがより明確になっています。
例えば、「コロナ禍で健康意識が上がったはず」と考えがちなのですが、実はそうでもないことが直近の調査で判明しています。むしろ、「健康によいことでも、無理やりなことや我慢を強いることはしない」という人は、2018年に47.5%だったのが、2021年が67.5%、2022年は66.8%とコロナ禍になってから増えているのです。また、「普段健康のことは気にしていない」という人は、コロナ前から変わらず20%前後を保っています。
もう1つ着目したいのが、ヘルステックサービスの利用状況です。多くの企業は「こんな機能を持つヘルステックがあればみんな使うはず」と予測していたかと思いますが、残念ながら利用経験率は決して高いとはいえません。とくに状態把握サービスは利用率が5%程度のものも多く、脱落率も高いのが現実です。
この2つからわかるのは、生活者の多くは「健康を目的に頑張り続けることができない」ということです。でも、ヘルスケアは続けなければ効果を発揮しません。ならば、「頑張らない」を前提としたサービス設計・開発をしようというのが、私たちヘルスケアチームのコンセプトです。
「人起点」の徹底と、膨大なデータが強み
――我慢したり、無理に自分を律したりしなくても続けられるヘルスケアということですね。具体的には、どのようなアプローチでサービス設計・開発をしているのでしょうか。
山内 電通グループの大きな強みは、プロダクトアウトでなく人を起点としてものを考えられることなのではないかと思っています。ヘルスケア領域においてもその姿勢は変わりません。「ウェルネス1万人調査」や生活者の大規模パネル調査データ「d-campX」※2などをもとに、多様なデータ分析とわれわれの知見を組み合わせて、リアルなペルソナと、ライフスタイルを点ではなく線(日常生活全体)で捉える24h/365日のジャーニーを描き、真に解決すべき課題・ニーズを考察します。この領域ならこうあるべき、というプロダクトアウトの発想ではなく、生活者の日常生活視点で捉え、サービス仮説を構築するので、一般的な枠組みには収まらない、新しい形のサービス仮説が生まれます。
これらの仮説を、開発チームや、電通クロスブレインと連携してスピーディーにプロトタイプ化。仮説を検証してブラッシュアップしていきます。
例えば、日常生活における特定の「あるシーン」の課題だけに深く寄り添うもの、製品単体ではなく、日常生活に合わせたパッケージでの提供、その人の嗜好になじむ提案など……。人起点で描くからこそ、機能ありきのものにはならず、ターゲットが、頑張らなくても無理なく続けられるサービス構想が可能になります。
萩野 電通クロスブレインではデータ収集と分析を担当しています。人はどんなタイミングでどういうすすめ方をされると心地よく動けるのか、行動を変えられるのか、という点にとくに留意していますね。先行研究の論文を読むことと、ユーザーから集められた実データを分析すること、そしてプランナーが立てた仮説、それぞれの知見を統合してサービスを通じたユーザーの行動仮説を立てています。その仮説をもとに、提供したいユーザー体験の実現に必要な粒度でデータを集め、加工する手順を整理します。適切なデバイスやサービスの選択、システムの設計、アルゴリズムの開発などをアナリスト、エンジニアが協業して実装していきます。
想像していたよりも人の行動パターンは多様で、データを分析して初めてわかることもあるので、分析結果に応じてサービスのチューニングをプランナーチームに相談することも多くあります。
平山 「心地よく動いてもらう」のは、いろいろなケースが考えられます。例えば、サプリメントに忌避感を持つ人に、いくらECサイトでレコメンドしても逆効果でしょうし、動くことがあまり好きでない人に、画一的に「毎日1万歩達成しよう」と促しても、あまり効果は期待できません。無理のない範囲で運動量が増える通勤ルート、家事に組み込まれたエクササイズ、体を動かすゲームの提案といった、その人の生活習慣や趣味嗜好に合わせたおすすめを提示すれば必要な運動量を達成してもらえる可能性が高まります。一人ひとりの日常生活に寄り添い、従来の枠組みを変えたサービスの設計・開発をすることが重要です。
※2 生活者のさまざまな意識・価値観・消費関与・媒体接触・生活行動を幅広く分析できる日本最大級の大規模シングルソースデータ
クイックな実装が可能なAIサービスを用意
――ヘルスケアサービスには、意識の高い人を選ぶ面もあったと思いますが、一人ひとりの心地よさに寄り添うアプローチは従来以上の浸透が期待できそうです。ただ、企業側としては、一人ひとりに合わせたサービス設計、とくに個人に合わせて個別化した仕組みを一から開発することに、コスト・期間の面でもハードルが高いと感じることもあるように思います。
山内 そうしたニーズに対応できるのが、電通とISIDビジネスコンサルティングで共同開発した「パーソナライズ・アルゴリズム」です。ターゲットの年齡・性別といったデモグラフィック情報を入れれば、健康意識・行動の嗜好を予測できます。
平山 この「パーソナライズ・アルゴリズム」は、すぐにお試しいただくことが可能ですので、試行的な取り組みにも適しています。取り組みの結果、「そういうことができるのならば、こんな課題にも対応できないか」といったご相談につながるケースも非常に多いです。
山内 ヘルスケア関連の事業は、どうしてもエビデンス重視で初動に時間がかかることが多いのですが、「パーソナライズ・アルゴリズム」を活用いただくことで、すぐ実装段階に入れますし、途中で方向性を変更することも容易です。
萩野 電通やISIDビジネスコンサルティングと連携をしていると、毎回異なる切り口、ユーザー体験仮説に基づいてサービス設計がなされていると感じます。それをきちんと実装できるデータ収集・分析に取り組むのは大変ですが、とても好奇心が刺激されます。今までにないウェルビーイングの指標をつくり上げていく挑戦と捉えていて、データチームとしても幅広いヒアリングや研究を重ねながら、できるだけ多角的な観点を提供していくことを心がけています。
平山 時代の流れもあり、単に数字的な利益を追い求めるよりも、顧客ロイヤリティを高めて長期的な信頼関係を築こうと考えている企業が増えています。そんな中で、萩野さんが指摘するように、新たなウェルビーイングの指標をつくり上げる意義は非常に高いと思っています。お互いの強みを持ち寄りつつ、つねに磨きをかけ続けて社会全体が共有できる価値を提供していくのも、電通グループとしての使命だと感じています。
山内 ウェルネス1万人調査を長年続けてきた知見を生かし、既存の枠組みにとらわれることなく人起点で解決すべき課題をサービスに落とし込む力とスピードには自信があります。ヘルスケア領域の課題は、持続可能な社会を実現するうえで必ず解決しなければなりませんから、これまで関連事業を手がけたことのないという企業様も含めて、皆さんと協力して取り組んでいけたらと思っています。