96歳で崩御、エリザベス女王の死因「老衰」の意味 医師が解説「持病があってもPPKは叶うもの」

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高齢になるに伴い、人間の機能は低下してきます。いろいろな低下が起こるのは、完全に自然のなせる業、節理です。

冒頭に書いたように、我々は誰しも、次の世代にバトンタッチして自らは消えていく使命を帯びて生まれてきています。世代継承のために必要な寿命は最短なら20歳、子育てまで含めても50年あればお釣りがきます。そのため、我々が持つ身体はもともと50年仕様なのです(身体の部品が50年仕様である話は、拙著『人は死ねない』〈晶文社〉でも詳しく書いています)。

さて、その50年仕様を大きく超えて高齢を極めた人間が亡くなる頃、身体のさまざまな機能がちょっとずつ、生命の維持に十分に耐えうる状態ではなくなってきます。心臓も悪く、肺も悪く、腎臓の機能も足りない……一個一個の臓器の異常が特に顕著なわけではなくても、全体としての「チーム力」が足りなくなるのです。そして、チーム力のせいで生命の灯がついえる状況を、我々は老衰と呼ぶのです。

各臓器の総力が足りなくなる

なお、チーム力、と言いましたが、チーム力が足りなくなるときの最後の決定的な部分は、腎臓であったり肺であったり、また、心臓であったりします。野球でいうならば(野球に喩えるのが適切かどうかもわかりませんが)、4番バッターが打てなくなったから負けた、ピッチャーの層が薄いのが原因でリリーフの切り札の心身がボロボロになって打ち込まれた……というようなことでしょうか。ともかく、ひとりの人間全体の生命活動を支えるには各臓器の総力が足りなくなるのが老衰なのです。

そういう状況であることから、例えば高血圧や糖尿病の持病を抱えた、あるいはがんから回復したあとの「一病息災」「多病息災」の状況であっても、それらの病気が命を奪うことなく、「老衰」によって命を閉じることは十分にあり得ます。高齢でも目立った病気もなく日々の活動ができ、元気なままで、いわば、ピンピンピンピンピンピンコロリ(PPPPPPK)ということも高望みではありません。

国立国語研究所が運営するコーパスで調べてみます。コーパスとは、ごく簡単にいうと、検索しやすいように構造化された用例データベースです。コーパスで調べると、「老衰」が現代の意味で使われ始めたのは、少なくとも1878年生まれの小説家、有島武郎の『小さき者へ』までは遡れます。それより遙か以前、8世紀に著わされた書物にも「老衰」は使われています。しかし、その当時から18世紀までの間、同語の使われ方は、「齢を取って衰弱」という程度にとどまり、現代のような、病気に言及する意味はなさそうです。

ちょっと周辺の事情をお話ししたいと思います。

江戸時代から明治にかけて、日本に大量の西洋医学が入ってきました。蘭学医であった杉田玄白の『解体新書』などは、その文脈でよく知られる代表的な存在です。

当時、日本にはまだ存在しないモノや考え方が入ってきました。その結果、日本語の語彙として必要ないろいろな言葉が「転用」ないし「発明」されることになりました。「解剖」や「細胞」「侵襲」……といった医学用語が昔の語彙から蘇らされたり、たくさん作られたりしました。そのときに作られた言葉の見事さ、漢字の使われ方の完膚なきまでの技術を見ると、時代の知識層が漢文に大きな素養を持っていたことが見てとれます。現代人として恥ずかしくもなります。21世紀の日本語に定着しているさまざまな用語がこの時期に作られているのです。

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