松下幸之助氏の「元秘書」が選んだ第二の人生 定年退職後も「活躍したい」をかなえる方法

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定年退職や役職定年の目前で、「まだまだやれる」「もっと社会の役に立ちたい」と感じている人は少なくないだろう。そんな人たちの重要な選択肢の1つとなるのが、ハイクラス転職だ。高い実績や専門性を持つ歴戦のビジネスパーソンは、「自分が転職活動を行えば引く手あまただ」と考えるかもしれないが、実際は希望にかなう転職先を見つけることはなかなか難しい。60歳で大手電子機器メーカーを退職し、新天地で役員としての7年目を迎える安田收司氏の経験をたどりながら、ハイクラス転職の成功の秘訣を探っていく。
※大手企業で元役員や元事業部長など、数百億円を超える規模の事業をマネジメントした経験や、高い専門技術を持つ「ハイクラス人材」の転職を指す。優良中堅・ベンチャー企業が飛躍的な成長、または社内体制の抜本的な改革を目指して中途採用するケースが多い。 
 

大学卒業後、安田收司氏はパナソニック(旧・松下電器産業)に入社した。営業に約10年間従事した後、同社の創業者で“経営の神様”と呼ばれる、松下幸之助氏の秘書に抜擢された。これが大きな転機となった。

当時、32歳だった安田氏に対し、松下氏は60歳も離れた92歳。松下氏が亡くなるまでの約2年間の秘書業務を通して、仕事への向き合い方や経営哲学など、安田氏はさまざまなことを学んだ。中国の北京市と同社による合弁会社が工場を設立した時、松下氏の依頼で、中国の実質的な最高指導者であった鄧小平氏や元首相の李鵬氏に宛てた手紙の素案を執筆するなど、希有な経験を重ねたという。

松下氏の元で研鑽を積んだ成果か、45歳でマレーシア現地法人の社長に就任した安田氏。収益力に衰えが見え始めていたエアコン事業の改革や、アジア・欧州における販売網の拡大に取り組んだ。その後、50歳から約6年間、中国・広州の大規模エアコン工場で総経理を務め、財務改善や生産体制の刷新・強化に貢献した。

11年にわたる海外赴任を終えた後は、国内でエアコン関連の事業企画を手がけた。仕事は順調だったが、物足りなさを感じる日々を送っていた。そして、定年を数カ月後に控えたある日、安田氏は自分の中でくすぶる思いに気づいた。

「まだ体力的に問題はないし、仕事をやりきったという感覚もない」

「定年後は、海外での経験を生かして、ほかの企業で役に立ちたい」

「新天地で自分の実力を試してみたい」

そこで、いくつかの転職エージェントに連絡して転職先を模索したが、これといった動きがないまま数カ月が過ぎた。安田氏と同様に転職活動をしていた同僚たちも同じような状況で、一度だけエージェントから転職先を紹介されたこともあったが、そのエージェントは同僚たちにも同じ企業を紹介しており、不信感だけが募ったという。

ある転職エージェントとの出会いで変わった第二の人生

そんな中、たまたま社内で会った人事担当の後輩に、定年後の身の振り方について聞かれた安田氏。現状を話したところ「それなら当てがあるので、いったん私に預けてください」と言われた。

髙橋金属
専務取締役
安田 收司氏

そこから、安田氏の転職活動は一転して意外な展開を迎える。

後輩と会ってから1週間もしないうちに、ある転職エージェントから連絡があり、面談することになった。安田氏は、自身の経歴や仕事に対する思いを伝えた。面談から数日後、再び連絡してきたエージェントから「ぜひご紹介したい企業があるので、社長に会っていただけますか」と言われたという。

それから約1週間後、紹介先の企業の社長と直接会い、さまざまな話をした。その社長こそ現在の職場であり、滋賀県を拠点に金属プレス製品を製造する髙橋金属の2代目・髙橋康之氏だった。

髙橋氏は安田氏に向かってこう語った。

「当社は現在、下請けの仕事が多く、このままではいけないと考えています。この状態から脱却するためにはどうすればいいかを一緒に考えていただけませんか? 中国とタイにも拠点があるので、海外での経験も生かしてほしいと考えています」

髙橋氏と別れた後、安田氏は熟考に熟考を重ね、「髙橋金属であれば、お役に立てるかもしれない。むしろ、これまでの経歴を踏まえれば、自分こそが適任の仕事ではないか」との結論に至ったという。こうして髙橋金属への転職を決断し、安田氏は第二の人生をスタートすることになる。この時、定年まで1カ月を切っていた。

転職後、安田氏は役員として、さまざまな提案をした。とくに力を入れたのが、懸案の1つであった、自社企画製品の製造だ。これまで同様、事業の柱は下請けの仕事としつつも、新規事業を立ち上げた。自社製品の企画から開発、製造、販売までを一貫して手がけ、さらには定期メンテナンスも自社で実施。独自技術の確立に努めた。また、生産体制の強化・効率化や、海外事業と国内事業をリンクさせてシナジーを生むことにも注力した。

結果として、燃料電池のケースをはじめとする自社企画製品の展開や、「型内ネジ転造加工技術」といった独自技術を生かした製品が受注を伸ばすなど、経営改革の成果は着実に見え始めているという。

「つねに気持ちに張りを持って働くことができています。また専務という責任の重い立場で仕事させていただいていることもあり、若い頃以上に、いろいろなことに好奇心を持つようになりました。この歳でそういう機会をいただけていることに、とても感謝しています」(安田氏)

転職を成功に導いた松下幸之助氏の言葉

ハイクラス転職における成功とは、希望する企業に移ることで完結するものではない。安田氏のように、経験や専門性を生かして、転職先の企業に新たな風を吹き込むことができて初めて、成功と言えるのではないだろうか。

では、なぜ安田氏はハイクラス転職に成功したのか。安田氏は、次のように振り返る。

「あえて成功の秘訣を挙げるとするならば、松下さんが座右の銘にしていた“青春”という言葉を大切にしているからではないでしょうか。松下さんは『青春とは心の若さである。信念と希望にあふれ、勇気に満ちて日に新たな活動を続ける限り、青春は永遠にその人のものである』とおっしゃいましたが、まさに今、それを実感しています。松下さんに『40になろうが50になろうが60になろうが、勉強せなあかん』と口を酸っぱくして言われたことを肝に銘じて、日々の仕事に向き合っています」

ハイクラス人材の転職で成功のカギを握るのはエージェントだ。条件に合致するポジションを機械的に選定し、「数撃てば当たる」とばかりに紹介する担当者では、望ましい結果を得ることは難しい。安田氏に現在のポジションを提案したエージェントのように、人材側の経歴や人柄を考慮し、その人材だからこそ解決できるミッションを提示できるかどうかが重要だ。

一見、最適な転職先がなさそうに見えても、「人」と「企業」を丁寧につなぐことで、奇跡のようなマッチングが起こりうる。それによって、転職者と転職先の双方に、大きなプラスとなる。日本の経済活性化のためにも、ぜひ多くの人に“青春を自分のものにし続けられる場所”を見つけていただきたい。 

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