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FTA・EPA国際通商ルール対応戦略 羽生田 慶介(デロイト トーマツ コンサルティング
レギュラトリストラテジー リーダー)

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今後各社の中期経営計画は、このグローバルなルール形成競争の真っただ中にいることを前提にしたものでなければならない。現在の中計を策定した当時に通商ルール動向を語ったならば、「多かれ少なかれ関税が削減されるのであればおおむね歓迎。それが自社のサプライチェーンに適するものであればありがたい」という程度のものだったかもしれない。ただし、これから2015年を経て2020年に向かうグローバル戦略はそう単純にはいかない。Trade Agreementを超えたルール形成競争のなかで、まずは既存のFTAで享受可能なメリットを最大限活用し、その上で今後のルールをいかに自社に有利に形成するか(または、経済・社会の「あるべき姿」に近づけるか)を、経営の重要課題とするべきだ。

企業が取り組むべきこと

〈「FTA使い漏れ」は社内の大罪〉

これまで述べた国際通商ルールへの対応の重要性を認識しつつ、企業がとるべき具体的な対応方針のうち、まずは「既存のFTAで享受可能なメリットを最大限活用」について説明する。

この最たる施策が「FTA使い漏れ」の解消であり、各社をご支援する機会が増えている。これは、せっかく国が経済連携協定を交渉・妥結・発効させたにもかかわらず、企業の通商・物流担当がそれを十分認識していないために、または原産地証明書取得などの実務ノウハウを持ち合わせていないためにFTAメリットを「使い漏れ」ている状態を改善するものだ。

これが企業の利益創出活動のなかでどれほどの大罪かは想像に難くないだろう。特に製造業では、生産プロセスにおいて、世代を超えた飽くなきカイゼン活動や、部材を板や粉の単位まで分解してのコストエンジニアリングによって、何銭何厘というコスト削減努力を続けている。また、開発・設計においても、シミュレーション技術の高度化による試作レス化など、不断の努力が重ねられている。もちろん、物流分野においても在庫や輸配送の効率化による利益創出活動は行われてきたことと思われるが、さて、これらのバリューチェーン全体での自社努力によって果たして何パーセントの利益改善が成されてきただろうか。これら現場による不断の努力を嘲笑うかのように、通商ルール交渉による関税率の変化はきわめて大きく利益を上下させる。前述の「関税5%は法人税40%に相当する」という構図にあって、時にFTAでは関税率30%が即時撤廃されるような例も存在する。これは、企業の生産・物流現場はもちろん、オペレーション改善を生業とするコンサルタントにとっても茫然自失となりうるインパクトだ。そして声を大きくして各社にお伝えしたいのが、これはマーケティングや競争戦略の結果のコストではないという点だ。あくまでも、「ルールを知り」、それが自社に適用される場合、「きちんと活用」すれば確実に関税コストを削減し当期利益を改善できる。これをもたらすFTAの活用が十分なものでなかったとしたら、すなわち、経営としてその影響を正しく認識せず、物流部門・海外事業部門に適切な指示をできていなかったとしたら、日々のコスト削減に血道を上げている生産現場に顔向けができない。この「FTA 使い漏れ」を回避・解消するため、弊社がクライアントのFTA活用状況の診断や原産地証明取得をご支援する機会が増えているのは、このFTA対応の巧拙によってコスト競争力に差が出てきていることを各社が認識し始めたことの表れと捉えている。

〈中計、投資計画に「落とし穴」が潜む〉

また、既存FTAの活用は、ここまで述べた当期利益改善の目的に加え、今後2020年頃を見据えた中期経営計画・投資計画策定における「落とし穴探し」としても重要だ。「落とし穴」とは、FTAによって生じる、各グローバル拠点のコスト構造の非連続な変化を指す。

FTAの関税削減スケジュールは「国ごと」「品目(HSコード)ごと」に異なり、FTA発効と同時に即時撤廃されるものもあれば、規則正しい削減幅で段階的に撤廃されるもの、また、一定期間現状の税率を維持してから複雑な削減ステップを踏むもの等、実にさまざまとなっている。このため、ある特定の品目を複数の国に輸出入しているケースにおいて、現時点で同じ関税率であることが必ずしも3年後や5年後にも同条件であることは意味しない。たとえば、同じ自動車部品を日本からタイおよびベトナムに輸出しており、現在の関税率が同じであったとしても、2020年には15%や20%程度の関税率の差がFTAによって生じることがあるのだ。これを踏まえずに、単純な市場規模予測や人件費・インフラコストの見通しだけで投資計画を立てるには、今後のグローバル通商環境はあまりに大きく動き過ぎている。これは「可能性」を説いているのではない。すでに発効している協定*2 を詳細に分析すれば「確実に起きる未来」として予見可能な事業環境変化なのだ。

とはいえ、企業が「FTA使い漏れ」や「投資計画の落とし穴」を完全になくすことは容易でないことも事実だ。なぜならば、世界にはすでに400 近いFTA・EPAが存在し、それらが「スパゲティボウル現象」と言われるように複雑に絡み合っていることで、自社サプライチェーンに適したFTA、すなわち、自社が(FTA特恵税率を享受するための条件である)原産地規則を満たし、かつ最も低い関税率のFTAを網羅的に把握することはきわめて困難だからだ。そのため、弊社のこれまでのコンサルティング実績から判断するに、おそらく超大企業を含むほぼすべての企業においてこれら「FTA使い漏れ」や「投資計画の落とし穴」は大なり小なり存在すると考えてよい。この状況は世界共通ではあるものの、アジアは世界で最も複雑にFTA・EPA網が張り巡らされているため巧拙に差が出やすい。たとえばシンガポール政府が(自国に関連するFTAに限定しつつも)比較的情報提供を充実させているように、いずれはこの状況を打開すべく政府がデータベース等の形でFTA関税データの整理を強化する可能性もあるが、グローバル企業が関心あるサプライチェーンを国が(他国間FTAも含め)網羅的に責任を持って情報管理することは想定しづらい。必要に応じ外部専門家も活用しつつ、これに適切に対応した企業から利益を上げていくゲームはすでに動きだしている。

ルール形成:「Standards×Regulations 戦略」

国際通商ルール交渉が「関税分野」から「非関税分野」にも重心を移しつつあることで、各国の安全基準や環境規制など広範なルールが大きく変化していく。他方、FTAであれEPAであれ、それ以外の呼び名がつく経済連携協定であれ、実のところ、この「非関税分野」には(「関税分野」と違い、一部のサービス自由化交渉を除き)確固とした交渉の“お作法”が存在しない。このため、「非関税分野」については、首脳による署名を必要とする国家間の経済連携協定とそれ以外の枠組み(個別企業による海外政府へのロビーイングによるルール形成を含む)で、取り扱うアジェンダに明確な線引きがない。これは、官民の英知を結集したアイディア・戦略次第でRCEPやFTAAP等の国家間の経済連携交渉に日本としてアジェンダを追加することが可能であることを意味するのと同時に、企業レベル・業界団体レベルでの日々のルール形成の取り組み、すなわち戦略的なロビーイング活動を強化する必要性を示している。

多くの日本企業はこれまで、ルールの変化をあくまでも所与として受け止め、それに迅速・的確に適応することでグローバル競争を戦ってきた。しかしながら、この「ルール適応」の姿勢だけでは、日本企業が十分な国際競争力を維持することが困難になってきているのが現実だ。少なくとも、高質な商品・サービスを提供していることが正しく評価される世界にすることは今後の企業経営の責務とも言える。

これについては、「欧米にしてやられた」手痛い事例と、「日本企業が、政府に頼らずとも実現した」成功事例をお伝えするのがよいだろう。

前者の手痛い事例は、タイにおける自動車税制優遇策の変更が挙げられる。従来、タイにおいては日本企業が高い競争力を持つハイブリッド車が大幅に有利(3000cc以下の乗用車において最大30%有利)な物品税制となっていた。これに対しドイツ自動車工業会は、フォルクスワーゲン等が強みを持つ低燃費エンジン車の税率改善のために当局に詳細な税制提案を重ねた。これによりタイはハイブリッドという車両構造を優遇するのではなく、CO2排出量に基づく税体系に変更(2012年決定)。結果、ハイブリッド車がエンジン車に対して大幅に優遇されていた物品税率の差が大きく縮まり、日本企業(ハイブリッド推進企業として)にとって圧倒的に優位な状況ではなくなった。これはもちろん欧州のルール形成力に学ぶことが多い事例ではあるものの、もしここでハイブリッドを推す日本企業が「CO2排出量だけでなく、PM2.5排出量まで考慮して環境負荷を捉えるべき」とロビーイングをしていたら違った税制になっていたかもしれない。

次に、日本企業の成功事例として、ダイキン工業によるインバータ省エネ技術に関する欧州でのルール形成事例が挙げられる。EUでは空調設備を含む多様な製品に環境配慮設計を義務付ける規制(エコデザイン指令〈ErP指令〉)が導入されている。ここで重要となるのは、その規制に対応する「高い省エネ効率のエアコン」をどう定めるのかという点だ。当時、エアコンの省エネ効果の評価方法は「定格点のみに拠る」こととされ、ダイキンの強みである期間エネルギー効率性が考慮されないものとなっていた。そこで同社の海外拠点であるダイキン・ヨーロッパは、最大消費電力では他社製品と差がなくとも、年間消費電力には歴然とした差が出る試験結果を欧州委員会に提供。結果、2012年3月、エアコンに関する欧州エコデザイン要件を定める規則において、最大エネルギー効率のみの指標では年間消費電力の差を比べることができないとして、季節ごとのエネルギー効率性を示す指標が導入された。この事例において特筆すべきは、あくまでも主役はダイキンという企業であることだ。ルール形成とは必ずしも政府に頼ることではないことを証明している。

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