「豪腕の中の豪腕。日本では右に出る人物はいないだろう」。ドン・キホーテ(現パン・パシフィック・インターナショナルホールディングス、以下PPIH)の創業者である安田隆夫氏(69)について、同氏と三十年来の交流を持つ男性はそう語る。
安田氏は不動産ビジネスの記事で記述したように、心に決めた案件では重戦車のように突き進む反面、状況が悪いときには「待ち」を決め込む冷静さを持つ。知人男性によると「麻雀の腕はプロも顔負けだが、強気一辺倒ではなく臨機応変に打つ」。
1949年に岐阜県大垣市で生まれた安田氏は、慶応大学卒業後に不動産会社に就職するも、入社10カ月後に同社が倒産。その後、定職に就かず、ギャンブルで食いつなぐ生活を送った。その間に稼いだ800万円を元手に78年、東京都杉並区に雑貨のディスカウントストア「泥棒市場」を開店。その後、卸会社「ジャスト」設立を経て、89年に東京都府中市にドンキ1号店を開業した。すぐには繁盛せず大赤字だったが、売り場担当者に仕入れから値付けまで任せる権限委譲で活気づき、しだいに収益を伸ばしていった。
既成秩序に立ち向かう 厚労省とも真っ向勝負
2003年には、テレビ電話による医薬品販売をめぐり、厚生労働省と対立。「当方に理があるなら相手が誰であろうと敢然と戦うしかない」(安田氏の著書『安売り王一代』から)。真っ向勝負を挑み、04年にテレビ電話による医薬品の販売を法的に認めさせた。
06年、持ち帰り弁当のオリジン東秀に対するTOB(株式公開買い付け)に踏み切った際は、ホワイトナイトとして登場したイオンと衝突。結果として、ドンキが保有していたオリジン東秀の全株式をイオンに譲渡することで収まった。このときドンキは株式譲渡で60億円超の売却益を得た。転んでもタダでは起きないのが安田流だ。他方で高値づかみとなったイオンは、買収効果をなかなか発揮できず、苦しむことになる。
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