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名門高校には、偏差値や大学進学実績だけでは測れない何かがある。伝統が生み出す独自の校風、質の高い授業や指導体制、優秀な生徒が集まり切磋琢磨する雰囲気、卒業生のネットワークなどだ。8月6日発売の『週刊東洋経済』で特集した「ザ・名門高校 校風、進学実績、人脈の大研究」取材班から5回にわたって、名門校で育った企業トップたちの高校時代に迫るリポートをお届けする。最終第5回は灘高校に通った美々卯社長の薩摩和男氏。
学校の雰囲気はまさに自由。授業が終わるとホームルームもなく、生活指導のようなものを受けた記憶もない。校則もなかった。宿題は山のように出たため大変だったが、勉強以外は野放しだった。
東大紛争の影響を受け、高校2年生のときには、それまでの詰め襟制服がなくなり、丸坊主でなくてもよくなった。
放任主義でもあったが、生徒に対する先生の信頼があったのではと思う。「やんちゃはするだろうが、一線を踏み越えることはないだろう」と。
あるとき、授業をサボって友人たちと喫茶店に行った。楽しく話している途中、後ろの席に化学の先生がいることに気がついた。先生は僕らがいることに気がついているが、知らんぷり。「そういうこともあるやろ」と懐の深さを感じた。すごい学校やなと思った。
事典を愛読、実験で自宅が爆発
同級生も個性豊かだった。たとえばある友人は、数学の試験を受けているとき、たまたま斜め前のクラスメートの解答が見えたらしい。答えが間違っていることに気づいた彼は、「どこをどう間違えたら、その答えになるのか、余った残り時間で考えていた」と話すなど、知的好奇心にあふれていた。
ほかにも百科事典を読み続ける者や、化学実験をして自宅で大爆発を起こした者など、「世の中にはすごいやつがおるもんやな」と勉強になった。
授業でも「大学入試で出題されるから覚えなさい」とはいっさい言われなかった。受験という目先の目標にとらわれない教育が徹底されていた。
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