かつて外務省はキャリア外交官の採用に当たって独自の試験を行っていた。2000年からはほかの中央官庁と同様に、国家公務員総合職試験の合格者から選抜している。
外務省に入省したキャリア組は2年目から在外研修として各国に語学留学に出される。その後に米国などの大学院で修士号を取得するコースが一般的だ。
どの言語を選ぶかについて、本人の希望は聞かれるが、それが反映されるとは限らない。「極めていいかげんに決まっている」(元人事課職員)という声もある。
しかし、学ぶ言語は外交官にとって大きな意味を持つ。これにより省内における戸籍ともいえる「スクール」が決まり、その後の出世コースやキャリアの到達点が左右されるからだ。
戦後の外務事務次官の経歴を見ると、英米スクールの優遇ぶりは明らかだ。かつてはフランス語研修組の柳井俊二次官のような例外もいたが、21世紀に入ってからは、ほかのスクール出身の次官は皆無。現次官の秋葉剛男氏は米タフツ大学フレッチャースクール、杉山晋輔前次官(現駐米大使)は英オックスフォード大学への留学組である。
背景には冷戦時から日本の外交政策が超大国の同盟国、米国の影響下にあったことがある。英米からの研修後に、見込まれれば大臣官房の人事課や会計課、総合外交政策局総務課、国際法局条約課といった中枢セクションの首席事務官(筆頭課長補佐の外務省での呼称)、ひいては課長に登用される。
その後、在外勤務を経て首相秘書官、北米局長、外務審議官(政務、経済の2名いる)、事務次官といった出世コースのポストを争うというのが通例だった。事務次官を経て駐米大使に就任するのが王道中の王道だ。
大使を頂点に結束する中国、ロシアスクール
ほかのスクールの出身者が上り詰められるのは事務方ナンバー2の外務審議官まで。ロシアや中国のスクールで頂点に立つのは駐ロ大使や駐中国大使だ。いまだに結束が固いとされるそれぞれのスクール内で人事に強大な影響力を振るっている。「アラビスト」と呼ばれる中東での研修組は中東アフリカ局長が出世の限界と見なされ、外務審議官や総合外交政策局長に就いた例はほとんどなかった。
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