「理合い」という言葉をご存じだろうか。
武道の世界でよく使われ、科学では説明がつかないけれども確実に存在する法則のようなものを指す。「こうすれば、こうなる」といった必然の道理のことだ。
この理合いが見えてくると、職種や専門の違いを超えた普遍的な道理があることもわかる。ゆえに、異業種の人の話からヒントを得ることが多い。
特殊部隊を辞め、ミンダナオ島に渡って半年が経過した頃だった。軍の射撃場での識別射撃(敵と味方が混在する中から敵だけに発砲する)訓練を始める直前、現地でトレーニングパートナーとして雇った弟子の若い女性ともめた。私は、銃をこちらに向けている写真の紙標的に発砲しろ、銃が写っていない標的には発砲するな、と言った。すると弟子が詰問してきた。
「あなたは、敵と味方を目で判別するの?」
「当然だろ。銃を向けていれば発砲し、でなければ発砲するな」
「そんなことしたら、弾の入っていない銃を持たされて、人に向けるように脅された人を射殺しちゃうじゃない。あなた、識別射撃をやったことないでしょ?」
「特殊部隊で何百回もやった」
「ごっこじゃないわよ。人を射殺しようとしている人を見たことないんじゃないの?」
「ない」
「人を射殺するって、ものすごいエネルギーが必要よ。殺意を持っている人は、それが全身からあふれ出ているわ。だから、すぐわかる。目で見て撃つか撃たないかを判断するなんて、相手の小細工に引っ掛かるための訓練ね」
自分の怠慢に気づく
ミンダナオ在住当時、私はこの弟子に何度も問い詰められ、罵詈雑言(ばりぞうごん)を浴びせられた。毎回彼女の言い分に感心し、自分のふがいなさを感じた。それは自身の無知や未経験に対してではない。自分もおかしいと感じていたのに、それを上官に説明するのが困難だったために、気づいていないふりをしていたことに対してである。
この記事は有料会員限定です
残り 489文字
