9月11日から2日間の日程で開催された「日中ジャーナリスト交流会議」。筆者も上海市内で行われた討論に参加して、強く印象づけられたことがあった。
それは現在の中国社会が、相反する二つの極端な要素によって構成され始めたということだ。
一つはスマートフォン決済など、ITを駆使して、世界で最先端のサービスをどんどん生み出しながら激しい新陳代謝を繰り返す社会となっていること。
もう一つは、まるで1980年代にタイムスリップしたかのような“批判”と“行動の自由なき”民主集中制の広がりと定着である。
どういうことか。たとえば、以前であれば中国メディアの後進性を日本側のジャーナリストが指摘すれば、「中国の現実を知らなすぎる。不勉強だ」との反論がなされたものだ。
しかし、今回の会議では、そうではなかった。むしろ中国の言論空間が縮小していることを前提として、「日本のメディアは本当に自由にどんな記事も書けているといえるのか?」「自由か不自由かは主観的な問題。われわれが不自由と感じなければ問題ない」といった反論が目立った。
個人のSNS監視 仲間内の会話も危ない
そして中国側が盛んに繰り返したのが、「こんなテーマで話をしても無意味だ。もう少し協力して結論を導けることを話し合おう」という提案だった。
では、「協力して結論を導ける」テーマとは何だろうか。それは日々変化を遂げ続ける中国人の最先端のライフスタイルだという。
同じように高齢化に向かう両国だが、中国の若者には「未来への期待」があり、「起業して成功する」という意欲も強い。総じて街に活気もある。一方、日本は起業の精神に乏しいうえに大企業の未来も信じられない状況だ。
だが、「西側的民主(西洋的な民主主義)」という視点から見れば、中国の自由な言論空間は確実に狭まっている。
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