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去る3月11日の朝日新聞に、学生団体「SEALDs(シールズ)」の元メンバーに対する取材記事が載っていた。この団体は2015年、安全保障関連法に対する抗議活動を行っていたもので、現在は存在しない。掲載日は韓国の憲法裁判所が朴槿恵(パククネ)大統領の罷免を宣告した翌日である。その元メンバーは昨年11月、大統領辞任を求めるソウルの抗議集会に参加、集まった人の多さ、「世論の盛り上がり」に驚いた経験を持ち、先の罷免決定にも「国民が政治を動かした」と感動した。
記事は「隣の国なのに、なんでこんなに差があるんだろう」というその発言を引き、心情を「憧れと悔しさ」と代弁している。いうまでもなく、政治から「世論」「国民」が隔たった日本の現状批判である。
思想・信条は自由だから、どんな意見を持ってもよい。表現も自由だから、どんな文章を書いてもよいだろう。ただ公にするなら、人に見られても恥ずかしくない発言・文面にしなくてはなるまい。上の記事は、そうした観点からみて、少なくとも筆者にとって、説得力を有さなかった。
善悪・正邪だけで動かない
民主主義という概念だけで、表面的な現象だけを評するからである。この種の論評を試みるなら、せめて前提として、その民主主義が機能する日本と韓国の政治・社会の異同を知らねばならない。しかし元メンバーも記者も、双方の基本がかけ離れている事情には、まったく無頓着なようである。さもなくば、「隣の国なのに」とはいえまい。
条件をかえりみず、単に自分の正義感や使命感で行動するなら、子供にだってできるし、そうするのが子供である。しかし人間社会は複雑であって、善悪・正邪だけでは動かない。
子供が騒いでは、迷惑である。そうなってはならないから、子供は社会に出られないし、選挙権も与えられない。社会と政治を知った成人だから、権利が行使できるのである。
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