すでに潔く散ってしまう時期だが、今年の桜に対するわれわれの迎え方は、かなり整然としたものだったと思う。開花の予想、満開の時期(地方別)、天候などの告知がよどみなく行われ、受け止めるほうも自然体で動揺はなかった。そして花見を楽しみ、恒例の“桜冷え”と雨を迎えた。多くの桜愛好者にとって、心乱されることのない桜の時期の通過だったと思う。
奈良・平安時代に桜についての有名な歌が二つある。「世の中にたえて桜のなかりせば春の心はのどけからまし」「ももしきの大宮人はいとまあれや桜かざして今日も暮らしつ」。前者は桜に関する行事が多いということなのだろうか、桜が人の心を落ち着かせない喧噪の原因として扱われている。後者のほうは桜をいとまの象徴として詠んでいる。どっちが正しいかではなく、両方ともそういう現象があったのだろう。つまり人々の桜の受け止め方だ。
桜といえばどうしても酒に結び付く。うろ覚えだが「酒なくて何のおのれが桜かな」というような句があった気がする。
私は桜が散ったこの時期がいちばん好きだ。自分の生についていろいろと思いを巡らせるからだ。若葉の季節を目前に控える自然の鼓動が、人間も自然の一部であることをいや応なく知らせてくれる。ありのままの心を保てる貴重な季節だ。この季節に必ず口ずさむ漢詩がある。『唐詩選』の中の于武陵の「勧酒」(酒を勧める)という詩である。
勧君金屈巵 満酌不須辞 花発多風雨 人生足別離
意訳すると「君に金の杯を勧める。杯に満ちた酒を辞退しないでくれ。花が咲けば風雨も多い。人生は別離が多い」。ところがこの詩には絶品といっていい名訳がある。
「コノサカヅキヲ受ケテクレ ドウゾナミナミツガシテオクレ ハナニアラシノタトヘモアルゾ “サヨナラ”ダケガ人生ダ」
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