創業家出身の社長という意味で、豊田章男社長と(2006年まで米フォード・モーターの社長だった)ビル・フォード氏には共通点がある。二人とも入社からまもない頃は抵抗や論争に遭った。職務も中心からは外れたものだった。豊田氏が出世の階段を上ると、その適性には多くの疑問の声が上がった。ドイツのレース場を走り抜けるのが好きなレーサーは、社長のイメージにそぐわなかった。そう長くもたないだろうともいわれた。
社長に就任した豊田氏を待っていたのは険しい岩道だった。以前の経営陣たちは世界最大の自動車会社を目指し、生産能力を拡大。しかし米国では保証請求や顧客の苦情が積み上がり、高品質は失われつつあった。「レクサス」はドイツ勢の攻勢でシェアを失い、若者を狙ったブランド「サイオン」は失敗だった。
豊田社長に課せられたのはトヨタ生産方式が世界の羨望の的だった時代を取り戻すこと。そんな中、大規模リコール問題を受け公聴会に自ら出向くという最大の困難にぶち当たる。自分の会社の過ちを公衆の面前で話すのは屈辱的だ。しかしこれがトヨタを変革する推進力になった。
社長としての豊田氏は、カリスマ性で多くの注目を集めた奥田碩元社長とは大きく異なる。奥田氏は世界シェアを10%に引き上げてナンバーワンになることを公言した。最大(Largest)になることは難しくないが、ナンバーワンを持続するには最高(Best)でなければならない。これについて米ゼネラル・モーターズや独フォルクスワーゲンは教訓を得た。一方、豊田社長は信頼する重役で自分のチームを作り、(数値目標を公言するのではなく)社内でコンセンサスが取れるようにした。組織改革も奏功し、部門間だけでなく各地域と本社との間のコミュニケーションも改善されてきた。
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