
キリスト教の成立と2つの聖書
イエスの生涯
イエス・キリストは紀元前4年ごろ、今のイスラエルに生まれ、紀元後30年ごろ処刑されたとされる。亡くなる前の2年ほどの言行は新約聖書の福音書に残されており、神の国が近いことを人々に説き、時に奇跡を起こしたという。形式化した信仰を疑い、祭司たちを批判し、「神の子」と称したことなどが危険視された。
旧約聖書と新約聖書
キリスト教には2つの聖典がある。旧約聖書はもともとユダヤ人の聖典で、「旧約」とはキリスト教から見た、神と信者を結ぶ「古い契約の書」の意味で、「新約」とはイエスを通した「新しい契約書」の意味である。新約聖書は、イエスの言行録である福音書や弟子(使徒)たちの手紙などから成っている。1~2世紀に完成した。

宗教改革とプロテスタント
キリスト教の発展
キリスト教は392年にはローマ帝国の国教になった。395年のローマ帝国の東西分裂を経て、キリスト教はビザンツ(東ローマ)帝国の首都コンスタンティノープルにある東方正教会と、ローマにあるカトリック教会に分かれた。中世になるとカトリック教会は宗教的権威だけでなく政治的権威を持つようになり、その最高指導者ローマ教皇は欧州で強い権勢を誇った。
ルターの宗教改革
1517年、ドイツのマルティン・ルターは「95カ条の論題(意見書)」で、カトリック教会が販売する「贖宥状(しょくゆうじょう)(罪の償いを軽減する証明書)」に疑問を呈した。ルターは「人は信仰のみによって救われる」と主張。フランスのカルヴァンも教会のあり方を批判した。こうした人々はプロテスタント(抗議者)と呼ばれ、カルヴァン派やルター派などの新教徒が生まれた。
16世紀の宗教戦争と欧州の混乱
カトリックvs.プロテスタント
1500年代以降、欧州ではカトリック教会とプロテスタントとの対立が激しくなり、各地で宗教戦争が勃発した。国王や諸侯(領主)の勢力争いも絡み、事態はより複雑化した。1618年からの三十年戦争は、神聖ローマ帝国皇帝がカトリック教徒をボヘミア国王に任命してプロテスタントを迫害しようとしたことをきっかけに起こった。列強が入り乱れて戦う大戦争となり、48年ウェストファリア条約によって講和が結ばれた。三十年戦争は宗教戦争としては最後の戦争になった。
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