37歳「肺が真っ白」で死に瀕した彼の痛切な闘病記 苦しくないのに血中酸素飽和度72%の超危険症状

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8月12日から18日の間で、何とか「命の危機」の峠を越えた。

体温も36度台にまで下がってきた。しかし睡眠はつねに30分から1時間で目が覚め、また少し寝る、を繰り返す。咳は出始めたら止まらないのは変わらなかった。

8月20日、呼吸療法がネーザイルハイフローから通常の鼻カニューレ(酸素供給の医療器具)に切り替わった。その2日後には、18日ぶりのシャワーが許可された。

8月24日に最後のレントゲンを撮り、間もなく退院の日が決定。定期健診はその1カ月後とのことだった。担当医には「自宅療養で問題なし、出歩きもOK。むしろ入院してじっとしていたので、身体をならすために動いてください」と言われていた。

退院日の夜に再入院、セカンドオピニオンで県外病院へ

8月26日、午前中に退院。病院で「身体を動かしてください」と言われた瀬川さんは、病院を出たあと、お弁当や飲み物などを購入して歩き、帰宅。その日の夕飯時に身体に異変を感じた。

「あの、コロナ感染の初期のような、熱が上がる感覚を覚えて、すごく焦りました。検温すると、38.2度。マズいと思って、入院していた病院にすぐに連絡しました。コロナ患者用のベッドは満床でしたが、一般病棟のベッドは空いていた。もうコロナをうつすような感染力はないようだったので、再入院できることになったんです。とにかく自宅では危険と考えていたので『入院させてください』とどうにかお願いしました」

8月26日、夜11時に再入院。退院前より肺炎の症状が悪くなっていて、医師からは「治りきっていない肺炎が再燃した」と説明があった。

しかし、これは奇妙な話だ。退院直前の検査で、なぜ「治りきっていない肺炎」に気づかなかったのだろうか。そんな疑念が残る。

再入院での治療は治療薬の点滴をしながら安静にし、一定時間だけ酸素を吸う、というものだった。瀬川さんは退院後を考え、家はカビだらけで環境が悪かったため、一度愛知の実家に帰ることを選択した。

「入院中に家族と話し合い、セカンドオピニオンとして、愛知の病院に転院することを決めました。紹介状を書いてもらって、退院日にそのまま東京から愛知へ入り、入院することになったんです」

9月2日の午前中、二度目の退院。その足で愛知へと出発をした。

東京では「医療逼迫」のニュースが毎日流れている状況。そんな中、瀬川さんは二度の入院を経て、肺炎のセカンドオピニオンとして他県の病院に転院。「ひたすら、運の良さに感謝している」状況だった。

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