東洋経済オンラインとは

津谷会長×東京大学新聞
若いときに学ぶ、クリエイティブの重要性

  • 制作:東洋経済企画広告制作チーム
恋愛ドラマアプリなどで知られるボルテージ。同社のファウンダーである津谷祐司氏は、東京大学工学部を卒業後、大手広告代理店に入社。在職中にUCLAの映画学部に留学して、帰国後に独立、ボルテージを立ち上げた経歴を持つ。『コンテンツビジネスのすべてはUCLA映画学部で学んだ。』という著書もある津谷会長。UCLAへの留学から津谷会長は何をつかんだのか。東京大学の後輩であり、自身も映画に関心を持つという東京大学新聞社オンライン編集部の後藤美波さんが、津谷会長に留学に至るまでの経緯や、そこから学んだことを聞いた。

周囲との違和感に戸惑い、
目的を見失って悩んでいた学生時代

後藤 津谷さんは東大生の頃、どのような学生生活をすごされていましたか?

津谷 僕は工学部の都市工学科だったのですが、ご存じのとおり東大の理系は結構大変なんです。毎日授業や実験に追われる日々でした。だけどその合間には友人たちと10人くらいで学習塾の立ち上げに参画したりもしていて、そのメンバーとテニスやスキーとか、サークルのようなことも行っていたし、表面的に見ると楽しい大学生活だったと思います。

後藤 理系の同級生も、大変だぁと言っています(笑)。表面的と仰られるのには、なにか理由があったのですか?

津谷 今の学生さんも同じだと思うけど、当時はいろんな壁にぶつかったり悩んだりする毎日。たとえば僕は福井県出身なのですが、東大に入学してみると周囲は都会の進学校から来た人ばかりでなかなかなじめなかった。彼らと僕には「東大に入る」ということに対する思いにギャップがあったんです。僕は田舎から飛び出して「NASAでロケットを飛ばしたい」という強い動機があって、でも周りに東大に行った人はおらず、自分で勉強の仕方そのものから創意工夫せざるをえなかった。しかし、彼らは自立した目的意識を持たないまま、大人が用意したレールやカリキュラムに乗っかって、まじめに勉強していく人が多いように思えました。それに疑問を感じる様子もない。自分とはなにか違うなと違和感がありました。それで目的を見失ってしまい、勉強にも身が入らなくなり…。内心では将来どうしようかと悩んでいた。そんな学生時代でした。

「ものづくりとビジネスを繋げる」ため博報堂から
UCLAへ留学。ハンズオンでクリエイティブを学ぶ

後藤 卒業後は広告代理店の博報堂へ入社。代理店を選んだ理由を教えて下さい。

津谷祐司
ボルテージ会長 1963年生まれ。85年東京大学工学部卒業後、博報堂入社。93年カリフォルニア大学ロサンゼルス校(UCLA)映画学部大学院監督コースに留学。97年帰国し、復職するも99年に独立し、ボルテージを設立。携帯向けの恋愛ゲームで急成長させる。2010年マザーズ、2011年東証一部上場。13年に社長から会長に就任。アメリカ・サンフランシスコに拠点を置く。

津谷 就職活動のときは同じ学部でハンドボール部だった友人と夜な夜な語らいながら、自分が本当にやりたいことを書き出していきました。そのときに気づいたのが「ものづくりとビジネスを繋げる」ということ。もともと僕は子供のころから工作したり絵を描いたり、ものづくりをするのが好きだったんです。そういったクリエイティブなことでお金を稼ぎたいな、と。建築事務所からも内定をいただいていたのですが、当時はテレビがものすごく力を持っていた時代。マスコミへ入ったほうが幅広く活動できるんじゃないかと思い博報堂を選びました。

後藤 その後しばらくしてUCLAへの留学を決断されています。そこに至った経緯を教えて下さい。

津谷 会社に入って2年間くらい経つと仕事や組織全体のことがわかってきて、新人時代にはない面白さを感じられる一方、この先のキャリアも見えてきて、それが何となくつまらなかったんです。そんな時に友人の一人からMBA留学するという話を聞いた。僕は当時、そういった選択肢があることをまったく知らなかったんです。それで留学について調べていくと、海外には「映画学部」というものがあり、そこからたくさんの著名な映画監督が生まれていることを知った。直感的に「自分はこれが学びたい」と思い、MBAではなくクリエイティブ留学を選ぶことにしたんです。

後藤美波
公益財団法人 東京大学新聞社オンライン編集部 東京大学文学部4年在学中

後藤 実は私も映画が好きで、今そちらの方向で留学を考えているんです。将来は映画業界も選択肢の一つかなって。昔から映画には興味があったのですか?

津谷 映画ももちろんですが、子供の頃はマンガやアニメなどのクリエイティブ全般に興味を持っていました。大学進学を考えるときには美大に行くことも迷ったくらい。しかし実際には行かなかったわけで、現場の仕事をやっていると、自分がそういったクリエイティブなことをハンズオンで勉強していないことに対しどこか気が引ける部分があったのも事実です。

 会社に求められているのはあくまでプロデューサーでありプレーヤーではない。そこにギャップを感じていて、それなら一度留学して実際に作ってみるのがいちばんだと思ったんです。実はこの本『コンテンツビジネスのすべてはUCLA映画学部で学んだ。』はそういった人たちに向けて書きました。

後藤 若いうちにクリエイティブな側面を学んでおくべきだと?

先輩のサクセスストーリーから多くを吸収するため質問攻めに。後輩の熱い思いに津谷氏も応える。

津谷 ボルテージもそうですが、いまのIT企業に入る人たちって美術や映画、クリエイティブに興味がある人が多い。アートなセンスを持っている人も多いのに、みんなお金儲けのビジネスばかりでもったいないなと思うんです。新しいビジネスやコンテンツを作り出すクリエイティブな面にも目を向けたほうが、絶対本人も熱中するし楽しいと思う。そういった人たちの背中を少しでも押してあげることができれば、そういう考えがあって執筆しました。

帰国、そしてボルテージ起業へ。
クリエイティブ留学で学んだこと

後藤 帰国後は一度、博報堂に戻られてお仕事をされていますね。

津谷 36歳で起業するまで2年半在職していたのですが、とても密度の濃い毎日を過ごしていました。社内ベンチャーを立ち上げ、プライベートでは長編の脚本を一つ書き上げたり、個人の事業としてウェブサービスを立ち上げたりしました。ほかにも海外の調査として西海岸と東海岸の会社を100社見に行ったり、日本のベンチャー起業家に話を聞きに行ったり。アニメ映画の制作を手伝ったこともあります。あらゆる可能性に手を出して駆け抜けた2年半でした。

後藤 多彩な内容ですね。帰国されてそのまま代理店にという選択もあったと思うんです。それが起業になるのはUCLAで学んだことがポイントになっている?

津谷 コンテンツを制作するときには「共感を得る」ことが何よりも大切であることとか、クリエイティブのイロハをUCLAでは学びました。だけどそれ以上に重要なのは「ビジネスに繋げる」ことの重要性。作品を作ることは力半分、残りはためらわずに売り込みに行くのが大切とか、そういう発想をアメリカ社会で学びました。チャンスは人から与えられない。自分で切り開いていかなければいけない。そのために扉を100回叩き続ければ、そのうち1回は話を聴いてくれる人が出てくる。そういうアグレッシブなマインドは起業する際も大いに役立ちました。

今後の夢。そして未来を担う若者に向けてメッセージ

後藤 津谷さんの今後の夢についてお聞かせください。

津谷 まずは今やっているアメリカでの事業を黒字化すること。ようやく人も安定してきてうまく回るようになってきたので、今後はシリコンバレー発のクールジャパンみたいなことに積極的に取り組んでいきたいと考えています。あとはまだ世の中にない新しくて面白いものの創造。僕は80年代から90年代にかけてバーチャルリアリティやSFXなどの登場に魅了され夢中になっていました。今後はそういったクリエイティブ・テクノロジーの分野、アートやテクノロジーでお金を稼ぐことにもビジネスを広げていきたいと思います。また新しい映画の脚本も現在執筆中なので、それを完成させることも今後の大きな夢の一つです。

後藤 最後に、私たち後輩の東大生に向けてメッセージをお願いします。

津谷 とにかく新しいことにチャレンジしてほしいなと思います。凝り固まったビジネスモデルを回す仕事ではなく、自ら草を刈って前人未到のことを行っていってほしい。まずは会社に提案してみて下さい。そういう動きを歓迎するステージに会社があるかもしれません。起業はリスクが高いので全員には勧めませんが、どうしてもやってみたい人は、外に飛び出す。たとえ人気企業に入っても、学歴や職歴を投げ出しても飛び出していく勇気。それを忘れずに社会人になってからも頑張ってもらいたいと思います。(完)

 

[東京大学新聞オンライン篇]

『東大生思考』を捨てよ! ボルテージ津谷会長からのメッセージ
  津谷祐司×東京大学新聞


――津谷さんは、学生時代をどのように過ごされていましたか?

津谷 大学時代は、表面的に言うと楽しい時間でした。僕は、工学部の都市工学科の出身なのですが、学科では実験が多く毎日忙しかったですね。……


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