(第1回)言葉の「市場化可能性」を追い求めた作詞家
阿久悠はこう語る。
「列島改造の勢いも得て株価も暴騰する。それを新聞が「どうにもとまらない」と書く。さらにそこから先、山本リンダの発表する歌が、「狂わせたいの」「じんじんさせて」「狙いうち」「燃えつきそう」「きりきり舞い」とくるから、すべてが株価の動向を示すフレーズに使われた」(『歌謡曲の時代』)。
当初の「恋のカーニバル」では訴求力に乏しく、時代と連動することはできなかっただろう。その頃、山本リンダは66年のデビュー曲『こまっちゃうナ』のあとが続かず、明らかに伸び悩んでいた。
そのカマトト、ブリッコ的キャラクターは、物真似のネタにさえなった。だが、『どうにもとまらない』から、さらに大胆に背中を露出させ、「みがきあげたこのからだ」を、挑発的に誇示する『狙いうち』で、そのイメージは一変する。カマトト、ブリッコのキャラが、セクシーでアグレッシブ(攻撃的)な女に豹変したのである。 ニュー・リンダソングは、列島改造とも株価暴騰とも石油ショックとも連動した、ユニークな70年代ソングとして、急速に時代に浸透していった。
先のタイトルの差し替えは、阿久悠の市場化能力のほんの一例にすぎない。「こまっちゃうナ」の"引く女の子"を、欲望の塊のような、激しくシャウトする女に。この戦略は、確実に的を射抜いた。
阿久悠は一連の楽曲で、単に彼女のイメージ・チェンジに貢献しただけではない。"欲望の規制緩和"を地でいく"引かない女"の市場化に、はじめて成功したのだ。
作曲家・都倉俊一とのコンビは、その名をもじってアクトク・コンビなどと陰口を囁かれた。だが時にドギツイことをやる、このヒール系コンビは、善が善であり、美が美であり得た昭和・戦後歌謡の古き良き時代に、不意の一撃を確実にもたらしたのだ。ブリッコの欲望が、「どうにもとまらない」ところまできた、70年代を先取りするようにして。
思えばそれは、この国の歌謡曲の歴史の更新期に当たっていた。ではそこで、何が、どのように変わったのか。
ここから始まる歌謡史を、「阿久悠とその時代」に焦点を絞ってたどり直してみよう。洗練された商品としての言葉(=歌詞)の変遷から、時代とその時代を映す鏡としての歌の関係が、見えてくるに違いない。繁栄の70年代からバブル崩壊の90年代、さらには昭和から平成への時代変化が、一人の作詞家の歩みと、どのように重なっていたのかを検証してみたい。
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