芸大移転!京都の駅前が文化発信拠点に進化 文化を基軸とした新たなまちづくりが始まる
京都こそクールジャパンの先駆け
幕末から明治時代の初期にかけ、都が江戸に移されて京都は一時期、ずいぶん落ち込みました。でも、それ以降も京都はしっかり生き延びてきました。なぜ生き延びることができたのか。明治期の京都は、伝統だけでなく新たな文化を生み出す風土が整っていたからです。思想や哲学、それからフォークソングなどの音楽。任天堂のような企業も生み出しました。
長い伝統に支えられた力で新しいものを生み出す。それは今でも続いていて、たとえば最近、大徳寺真珠庵では、漫画家をはじめとした現代作家に襖絵を描いてもらうという試みをしています。京都市立芸術大学の移転も、同様に新しいチャレンジになるのではないでしょうか。芸術系大学が都市の装飾という役割も担い、地域とタッグを組んで新しい街づくりをすることができたら京都という町は内側から変わっていくかもしれません。オープンなキャンパスに、外国の人も含め多様性を持つ人々が入りこみ、学生たちと交流する。それは京都がよりオープンな街に変わっていく過程でのシンボリックなエピソードになるかもしれません。