芸大移転!京都の駅前が文化発信拠点に進化 文化を基軸とした新たなまちづくりが始まる

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自然に親しみながら創作活動ができるように設計されたキャンパスでは、屋外スペースも有効に活用。制作中の作品や創作活動が外から見える開放的な造りで、この地を訪れる人々と芸大生との交流の場となる
日本初の公立の絵画専門学校を起源とする京都市立芸術大学が、JR京都駅から数分という好立地に移転する。京都市はこのプロジェクトを突破口に、周辺地域を含め、文化を基軸としたまちづくりを進めていくという。その狙いと全容について聞いた。

日本最古の芸大、京都駅前に

意外に知られていないが、京都市立芸術大学(京都芸大)は、芸術系大学としては日本で最も長い歴史を持つ。1880(明治13)年創立、実に約140年の歴史があり、東京藝術大学の創立が1887(明治20)年であることを考えると当時の京都における芸術の重みがわかるだろう。京都に芸術系の大学ができた経緯を門川大作京都市長はこう説明する。

「明治維新で京都は人口が激減し、都市存亡の危機に直面しました。その時京都の人々は、まだ文部省もない1869(明治2)年にお金を出し合い、地域ごとに64の小学校を創設。さらに人を育て、文化を磨き上げ、産業と融合させて未来を創造しようと、公立の絵画専門学校として京都府画学校を創設しました。当時としては珍しい男女共学だったこの学校が京都芸大の前身です」

その後、京都府画学校は京都芸大と京都市立銅駝美術工芸高等学校へと発展していった。この間、京都芸大は上村松園氏や草間彌生氏など18人の文化勲章受章者、26人の文化功労者を輩出。1980(昭和55)年、西京区のキャンパスに美術学部・音楽学部を統合し、現在では1200名の学生・教職員が芸術活動を行う。

一方で京都駅東部の崇仁地域では人口減少が進んでおり、住民や専門家等が議論を重ねる中で文化施設等の導入を求める声があがった。大学側でも時を経て施設の老朽化・耐震化等の課題を抱え、大学の発展・京都全体のまちづくりへの貢献を目指して移転の意向が示された。その後、周辺地域の住民の意向や市議会等での議論を重ねて、崇仁地域への移転整備の基本構想が発表された。文化芸術都市の心臓部で、京都駅を発着する新幹線からも見える、抜群の交通アクセスを誇る地域に京都芸大は銅駝美術工芸高等学校とともに移転し、2023年度に新キャンパスがオープンする計画だ。

多様な人々の交流の中で新たな文化を創造するシンボルに

だが、これは「単なる大学の移転構想ではない」と門川市長は強調する。「京都市が掲げる『文化を基軸としたまちづくり』、その象徴的なトピックなのです。芸術を学ぶ学生と地域、そして京都市を訪れる国内外の多くの人々が交流しながら新たな文化を創造し、広げていく。世界の人々の幸せと平和を願い、『誰一人取り残さない』国連のSDGsの17の目標ともつながります。さらに、時を同じくして、文化庁の京都への全面的な移転が決定。文化で全国の地方創生にも貢献します」

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