
ブラッド・グロッサーマン
日本の政財界では、「インド太平洋」を舞台に日中が激しい競争を繰り広げているという共通認識が存在しているように思える。またそのような認識を持つ人々の多くが、日本はこの競争において劣勢であると考えているようだ。確かに、現在の傾向が続けば日本は中国に負けてしまうだろう。しかし、現時点ではまだ軍配は上がっていない。DTIFで行われた議論で明らかになったのは、この競争関係において日本が持つ長所や、比較優位性は多くあるものの、日本の政府や企業がこれらを意図的に活用する戦略性を持たなければならないということだ。現状が日本にとって不利であることを認識した上で、これからの方針について考える際には、戦略的思考を持たなければならない。
競争環境の土台作りと「economic statecraft」
DTIFでの議論では、日本企業が中国について考える際には「強い危機感を感じる」という意見が多く出たが、この認識は正しいだろう。中国とは人口差が10倍、GDPは8年前に抜かれており、陰りが見えてきた経済成長率も日本と比べるとまだ4倍弱だ。また、中国の政治指導部は自信をつけてきており、自己主張が強く、さらには中国が地域リーダーたるべきというビジョンを共有する一般国民により支持されている。中国企業は政府からの力強い支援を期待でき、また、中国が確立してきた国内外の資源に対するアクセスが競争優位性を生み出している。
しかし、まだ日本が投了すべき時ではない。これは、中国が数々の問題に直面していることもその理由の一部であるが、パネリストの多くが繰り返し指摘したのは、「今後の日中競争において認識すべきことは、中国が抱える脆弱性の多さよりも、日本が活用できる能力が多数ある」ということだ。政財界のリーダーにとって最も重要なことは、自らがいる環境がどのように機能しており、根本的に変えることのできない前提条件が何かを正確に理解した上で、取るべき手段を変更するという戦略的思考を持つことだ。
これはもちろん、日本に戦略的思考が欠如しているというわけではない。問題は、日本の戦略的思考は制約されてしまっていることが多い点だ。日本では、競争が生じているそもそもの土台を規定する地政学的な動向から、「economic statecraft(経済的な国策)」という国家が経済的な手法を用いて、これら地政学的利益を追求する政策までを包含した戦略立案がなされることが比較的少ない。今後、日本政府・経済界の戦略に必要なのは、この競争の土台に関わる情報や各国のeconomic statecraftに関する動向を、正確かつタイムリーに得るだけでなく、自国が有利となるように変えることまでも視野に入れることだ。
一帯一路をチャンスとみなせ
日本に限らず欧米諸国にとっても共通の懸念となっているのが、シルクロードを再構築することでアジアとヨーロッパをつなげてしまおうという中国の壮大な計画、一帯一路構想だ。一帯一路には二つの側面がある。一つは経済的で、中国企業に対する国内需要縮小への対策として行われている側面がある。二つ目は政治的で、アジアインフラ投資銀行(AIIB)と連携しながら、中国の影響力を近隣諸国に限らず、地域圏内国家に対して広げるという側面だ。
日本は一帯一路構想を対抗しなければならない挑戦としてではなく、チャンスとみなすべきだ。アジアのインフラニーズに対する整備は大幅に遅れており、アジア開発銀行(ADB)によるとそのギャップは現在年間1.5兆ドル、2030年には22.6兆ドル分のインフラ整備が追い付かなくなる。日本はこの乖離を狭めるためにアジア諸国を支援すべきであり、そのニーズを満たそうとする他国の努力を阻むような行動をとっても関係悪化にしかつながらない。
まずは、日本単独で、あるいは他国と協力をしながら、ADBのような国際機関との連携も視野に入れた上で、アジアへのインフラプロジェクトで中国と協力する姿勢を取るべきだ。実際、融資条件が不平等だという理由で中国資本を受入国が拒否するケースが増えてきている。日本は、中国が受入国に対して課す条件の中で、特に負担がかかるものを外していくように働きかけることができる。もし中国がこのような形で他国家と協力する気がないのであれば、その時点で日本は同じような考え方を持つ政府や国際機関と共に独自の提案をするべきだ。また、もし中国が自身のプロジェクトから日本を締め出したとしても、中国が整備し終わったインフラを使って日本企業が行う経済活動を拒むことはできない点も忘れてはならない。
重要なのは貿易よりも投資
パラグ・カンナ
日本企業の対アジア支援は、現状でもかなりのプレゼンスを誇っている。2011年から2016年の間、日本企業は東南アジアに対して年間平均200億ドルの投資をしてきており、日本のアジアにおける直接投資の50%以上がASEANの6ヶ国に集中している。また、BMI Researchのデータによると2000年代を通じて日本が投じてきたインフラ投資総額は2300億ドルなのに対し、中国は1550億ドルに留まっている。そして、ディスカッションでパラグ・カンナ氏(グローバルストラテジスト/『「接続性」の地政学』〈原書房刊〉著者)が指摘したように、中国と各国の貿易関連数字を見て心配する人が多いが、実は見るべきは投資の数字だ。すなわち、影響力がより長続きし、より強い二次的・三次的な波及効果があるという点を鑑みれば、貿易よりも投資の方が重要なのだ。
マイケル・グリーン
この波及効果の一例として挙げられるのが、まさに東南アジア地域における対日認識の良好さだろう。マイケル・グリーン(戦略国際問題研究所〈CSIS〉上級副所長)が指摘した通り、東南アジアの国民に対してどの国を好意的に見ているかを聞いた世論調査で、日本は大部分の国家で常に一位となっている。これを日本が活用できるソフトパワーとして認識すべきだ。
東南アジアに中国に代わる選択肢の提示を
また、各国政府は基本的に自分達の選択肢が多ければ多いほど良いと思うが、これはアジア諸国も例外ではない。アジア諸国は一方で中国資本を欲しながらも、過度な対中依存は避けたいと考えているのだ。アジア諸国は、日本・米国・オーストラリアといった「インド太平洋地域」の主要国が中国資本の受け入れに代わる提案をすることを求めている。これにより、受入国は中国と交渉をする上でのレバレッジを得ることになるからだ。最終的にどのプロジェクトが採択されるかは場合によるが、そもそも日本は関与をしなければ、地域におけるレバレッジも影響力も発揮できない。
ゴードン・フレーク
交渉の場にいなければ競争にすらならないので、積極的に関与して行くことが決定的に重要となる。この点に関して、ゴードン・フレーク(オーストラリア大学 パースUSアジアセンター執行役員)はさらに、日本は政府も企業もこの地域におけるプレゼンスを高めなければならないと指摘した。彼によると、その第一歩は、1980年代に学んだ教訓を忘れるところから始めなければならない。当時の「ジャパン・バッシング」の経験から、日本は政府・企業レベルの双方において、できる限り目立たないようにする姿勢を保ってきた。しかし、環境が当時とは変わっているため、日本がこのような控えめな態度をとることは理にかなっていない。質の高いインフラであろうと、安全な食品であろうと、日本は東南アジアに提供できるモノを多く持っており、これら高品質製品がどこで作られたものかをしっかりと周知すべきなのだ。このような意見に賛同する声は会議参加者の多くから聞かれ、特にある日本企業の幹部は「日本的なものを隠すべきではない」と同意している。
対中経済競争のカギは企業による「価値観外交」
残念なのは、現在この「日本的なもの」というのが何を指すのかが曖昧なことだ。日本は一体どのような価値観に基づき、どういうアイディアやイデオロギーを推進し、政府や企業の指導者はどのように自身の利益を定義するのだろうか。安倍首相が太平洋とインド洋という「二つの海の交わり」について語ったのは10年以上前になる。しかし、トランプ政権が採用した「自由で開かれたインド太平洋」という概念は今でもその枠組みや中身の定義が不十分であり、これから精緻化が必要とされている。
日本政府は長年「透明性」「民主主義」「法の支配」という価値について語ってきたが、日本企業も「自由で開かれたインド太平洋」の下、これらの価値を積極的に促進するべきである。東南アジア諸国のガバナンスの透明性が向上し、民主主義の促進により言論の自由が保障されることで正確な情報が伝達されるメディアが育成され、法の支配により政治的腐敗が規制されれば、高品質であるという比較優位性を持つ日本製品は対中競争に勝てるようになるのだ。日本企業は競争に勝つために、相手の土俵に乗ることはない。企業による「価値観外交」で自由で開かれた市場が保障されている環境を作り、その上で堂々と勝負をすれば良いのだ。
CPTPPがインド太平洋におけるルール形成の金字塔
最終的に日本が成功するか否かは、日本企業がこの新たなマインドセットを持てるかどうかにかかっている。世界は新たな激しいグローバル競争の時代に入っている。しかし、この競争は軍事的なものではなく、主に経済的な側面が色濃くなっている。これは、政府も企業も各国が国力をどのように用いているかをしっかりと把握しなければならないことを意味する。各国政府は、この新たな時代におけるeconomic statecraftの重要性を再確認し始めている。そして、各国政府は自国の企業が有利となるように、経済的な競争を行う土俵自体に積極的に関与し始めている。
日本企業はこの新たな状況をしっかりと把握しなければならない。すなわち、純粋な企業間の経済競争とは異なる力学が働いているのだ。よって、経済活動が行われる環境作りに日本政府と企業の双方がより積極的に関与することが重要になる。この考え方こそがTPPの根幹にあり、現在CPTPPと名前を変えて生まれ変わろうとしている。CPTPPはまさに、企業間競争が行われる領域の規定とルール形成を行う試みだ。
CPTPPは、今後のインド太平洋地域における政治的・経済的な関与の規範や枠組みを規定するものとなるだろう。そして、日本政府は民間企業に対して、戦略的思考を持つように促進すべきだ。また、日本企業は、投資・貿易・ODA・サイバーセキュリティといった領域において、economic statecraftにより敏感にならなければならない。政府・企業共に、地政学的な新たな現実とeconomic statecraftの多用という経済競争の新たな環境に適合した戦略立案と実行が求められている。