団塊の世代がすべて75歳以上となる2025年。医療費の抑制を狙い、政府は入院患者を在宅医療に移す取り組みを始めており、高齢者や要介護者が住みなれた地域で自分らしい人生を全うするための「地域包括ケアシステム」の導入が進められている。そんな中、行政などの枠を超えた独自の試みにより、高齢者が主体となって活気付いている場所として注目されているのが岡山県奈義町である。日本全体にとっての喫緊の課題である地域包括ケアの在り方とは? また、その導入のカギとなるものは何か? 奈義町の取り組みを通して、ヒントが見えてくるかもしれない。
地域全体で寄り添う医療
日本が本格的に超高齢社会を迎える「2025年問題」が目前に迫っている。厚生労働省によれば、2025年に75歳以上の後期高齢者の人口が日本全体の18%に達する見込みだ。医療費、社会保障費の急増という問題を解決するために、医療・介護・行政・地域が連携して、高齢者の生活を支える「地域包括ケアシステム」の必要性が叫ばれる中、数々の先進的な試みが自然発生的に行われているのが、岡山県奈義町である。
人口約6000人という中山間部の小さな町であり、高齢者の割合は人口全体の約3割。この町が興味深いのは、「プライマリ・ケア」に積極的に取り組んでいることだ。プライマリ・ケアとは、家庭医が中心となって「何でも相談に乗る総合的な医療」のことで、地域包括ケアが目指す、地域全体の実情に根ざした医療・介護を実現する。だが、そのためには診療所の医師・看護職員だけでなく、行政や地域が連携することが不可欠だ。
その大きな原動力となっているのが、医師の松下明氏だ。現在、岡山家庭医療センターの奈義ファミリークリニック所長を務めている。神奈川県出身の松下氏が、大学時代に出会ったのが、「プライマリ・ケア」と題されたアメリカの家庭医療の教科書だった。松下氏が語る。
松下 明
「当時、地域で働く家庭医という専門ジャンルは日本にはなく、無医村の医者を目指していた私にとっては、まさに我が意を得たり、というものでした。ならば、自分でこの新しいジャンルを切り開いていこうと、当時、全国初のアメリカ式家庭医コースを導入した岡山県倉敷市の川崎医科大学総合診療部で研修を受け、さらにアメリカのミシガン州立大学関連病院に家庭医療レジデントとして留学しました。その後、研修時に家庭医のモデルクリニックとして見学したことのあった奈義町に2001年から赴任することになったのです」
家庭医の役割とは、地域医療の総合的な窓口となることだが、専門医療が主流である日本ではなかなか馴染まなかった。だが、松下氏は0~100歳まで、患者のさまざまな相談を受ける"メディカルホーム"を独自に構築することで、地域住民の日常的なケアを行いつつ、必要に応じて専門医を紹介するという仕組みをつくった。それは現在、政府が進める地域包括ケアシステムをまさに先取りするかたちとなった。
「なんでも相談できる」白衣を着ない医師
特徴的なのは、電子カルテを活用した「家族図」により、患者本人だけでなく、家族全体の生活を全方位的に網羅した特徴や動向を把握していることだ。背景を複合的に見渡すことで、なぜその病気を発症したのかという原因を俯瞰的に捉えることができる。また、遠方にいる親類家族などとも連携することで、高齢者のケアを互いに信頼感を持って総合的に行っていく。
「私が目指しているのは、"医療に詳しい近所のおじさん"。ですから、白衣も着ません。医者らしくない医者として、地域の人が気軽に相談できる存在でありたいと思っています」
今後各地域に家庭医を根付かせていくためには何が必要なのか。
「まずは、患者やご家族と丁寧に関わっていく心の通ったコミュニケーションが必要です。次に、さまざまなタイプの患者に対応できる包括的な診療能力。そして最後に、地域住民を継続して見守るという自負心です。家庭医には技術だけでなく、地域全体を元気にしたいという気持ちが必要です」
なぜこの小さな町で、プライマリ・ケアを実現できたのだろうか。
「人口のサイズがちょうど良かったと言えるかもしれません。また、地域全体の家族同士の関係を把握している保健師を始めとしたプロフェッショナルも揃っています。かつて奈義町では軍医の経験者が総合的な医療の窓口を担っていた歴史もあり、家庭医の存在が理解されやすかったという経緯があると思います」
最初から専門医にかかるのではなく、総合的な診療を受けることは、根本的な原因を見つけ出したり、病状の改善を図ったりする上でも有効であり、QOL(生活の質)向上にもつながる。そこで重要になってくるのがチームだ。松下氏のチームでは週1回ほど医師や看護師、訪問看護師、ケアマネジャーが情報交換を行い、いわば医療・介護の「多職種連携」を実現することで、「高齢者とのつながり」を継続的に更新している。
「絵に描くことは簡単ですが、実際に行うのは難しい。ケースごとに対応が異なるため、どのメンバーが関わってもうまく機能するように、困難事例の検討ではマインドマップのような全体図を使った見える事例検討会をします。そうやって切り口を考えると意外と対応策も見つかりやすい。多職種連携には全体を"見える化"することがカギとなるのです」
高齢男性を外に誘い出し「元気なじいさん」に
奈義町では、他にも地域包括ケアをユニークな方法で推し進めるキーパーソンたちがいる。その1人が奈義町社会福祉協議会で生活支援コーディネーターを務める植月尚子氏だ。町役場で保健師として働いた後、この仕事に携わるようになった。町の住民事情に詳しく、本人曰く「動く住民台帳」。そんな植月氏が関わっているのが、「ちょいワルじいさんプロジェクト」だ。高齢男性は女性に比べ、要支援状態になっても、プライドが邪魔をしてデイサービスなどを利用できず、家に引きこもって酒浸りになったりするケースが多いという。そこで高齢男性が、気負わずに社交的に振る舞える場を提供することを目的として、プロジェクトがスタートした。
生活支援コーディネーター
植月 尚子
具体的には、皆が集えるスナックのような居場所づくりや介助付きの日帰り温泉旅行などの企画を立てたりすることで、高齢男性を家から連れ出すためのきっかけづくりを行っている。「介護予防に必要なのは、運動と仲間づくりです。仲間ができれば、より活動的になります。男性が最期まで遊び心を持って"ワルさ"ができるように、アイデアを出してくれる有志を募り、60代以上の男性が中心となって活動することになったのです」
「つるんでいた友人が亡くなってしまうと途端に居場所がなくなってしまい、そのために認知症が進んでしまうこともあります。だからこそ、誰もが継続的に集える居場所が必要です。誘い合って遊びに来てもらい、そこで地域や人の役に立つことに生きがいを見出すことで、自分も健康になるような場所にしたい」

地域が支え合うことに加え、住民自らが健康づくりや介護予防に自主的に取り組むことが重要だと植月氏は語る。
「単に行政が呼びかけるだけでなく、10年後、自らがどうありたいかを住民に問いかけることでその気にさせることが必要です。奈義町の住民には自分たちの町を大事にしたいという思いがあります」
「役割を与える」演劇と介護の意外な可能性
奈義町では、さらに「老いと演劇のワークショップ」という取り組みも行われている。主宰しているのは、地域再生推進法人「ナギカラ」のメンバーとして奈義町アート・デザイン・ディレクターを務める菅原直樹氏だ。菅原氏は劇作家の平田オリザ氏のもとで演劇活動をしつつ、ホームヘルパー2級の資格を取得。その後、岡山に移住し、現在は劇団「OiBokkeShi(オイ・ボッケ・シ)」を主宰し、奈義町の芸術文化の振興を担っている。ワークショップを立ち上げたきっかけは、介護と演劇の相性の良さを実感し、認知症の方を受け止めるコツを、演技を通して伝えたいということだった。
「お年寄りほどいい俳優はいない、そして、介護者は俳優であるべきだと気づきました。介護にはクリエイティブな側面があるのです」
奈義町アート・デザイン・ディレクター
菅原 直樹
菅原氏は認知症によるボケは、周囲も受け入れるべきだという。認知症になっておかしな言動になるのは仕方のないこと。しかし、認知症はあくまで、認知の障害であり、感情に障害はない。いちいち失敗を指摘したりすることで、気持ちが傷つくのは、認知症の人もそうでない人も同じである。だからこそ、彼らの感情に寄り添うべきだと語る。
「私たちの常識からすれば間違ったことでも受け入れなければならない。私たちから見えないものでも、見たふりをしなければならない。そこに演技が必要になってくるのです」
ワークショップでは、認知症を疑似体験できる即興演劇に参加してもらい、どんな気持ちになったのかを体験者にインタビューを行う。そうしたワークショップを各地区のサロンや老人ホームなどで開催、介護従事者や学生も多く参加しているという。
「〝おかじい〟と呼ばれる91歳の岡田忠雄さんという男性を俳優として起用し、一緒に芝居もつくっています。彼には認知症の奥様がおり、ワークショップをきっかけに奥様との関わり方が変わったとおっしゃっています」
菅原氏は「お年寄りほど自分の役割を求めている」と指摘する。
「岡田さんは私のことを監督でもないのに監督と呼びます。それは彼が俳優という役割を全うしたいからです。老いることは不条理に人から役割を奪いますが、人は生きている限り何らかの役割を持っていたいのです」
奈義町では、こうした多くの人たちの知恵が集まる中、松下氏がリーダーシップを執り、地域包括ケアに携わるプロたちの職業意識を刺激し続けている。それが「高齢者が自らつながる仕組み」を強固なものにしている。松下氏が言う。
「将来は奈義町も例外なく、高齢者がさらに増え、認知症も増加していくでしょう。その中で、本人がどんな最期を迎えたいのか。我々も『私らしゅう生きるノート』と題するエンディングノートを作成して、高齢者の希望や気持ちに寄り添える努力を続けています。今後も個人の尊厳を最優先に地域医療の在り方を探っていきたい。そう思っています」
笠木義孝氏