特別インタビュー/沖縄県副知事 富川盛武氏 〜日本再生の「ジャンプ台」を担う〜
つまり、失われた20年を経験し、人口減少に突入した日本経済の再生を考えたとき、沖縄の潜在可能性が顕在化すれば、その再生に役立つのではないかと富川氏は話す。さらに、時流も沖縄に味方をして、アジアの橋頭堡としての役割も出てきたのではないかというのだ。
懐の深い沖縄の文化
沖縄の今を象徴する興味深い事例があると富川氏は言う。外資が沖縄にラグジュアリーなホテルを作るのは利益が上がるからだが、あるラグジュアリーホテルは、これまでのビーチサイドという定番ではなく、あえて海が見えない、昔からの風情がある平和通り近くの立地を選んだという。「その意味をわれわれは、近くに市場があって新鮮な魚介類が食べられ、アジアからのお客様がナイトバザーを安全に散策でき、繁華街に行けばメイドインジャパンの商品が買えるという、ソフトパワーによるものだと理解しています」。
富川氏自身、沖縄で生まれ、大学院で勉強した数年間を除けば、沖縄で過ごしてきた。そうした中で、かつては沖縄が東京などに比べて劣っているのではないかと感じた時期もあったという。それが成人するにつれて、文化に優劣などはなく、人間が根源的に求めるものが沖縄にはあるのではないかと思うようになったと話す。そんな思いで足元を見直してみると、沖縄には心地よい素材がたくさんあることに気づいたというのだ。
中でも沖縄が誇りたい文化の最たるものが「ALWAYS WELCOME」で、その昔天然痘が蔓延したときも、なんと天然痘を褒め称える歌を三線で作って、さりげなく出て行ってもらったのだという。「私は、そんな沖縄の文化に誇らしい気持ちがあるのです。疫病でさえもWELCOMEで、そっと出て行ってもらう。そういう人間が地球上に存在するのだと」
また沖縄県は、島言葉や方言を大切にすることにも注力している。「沖縄の言葉を媒体にしないと、伝達できないような文化があるのです。なくしてはいけない沖縄の文化を保持するためにも、島言葉を守っていく意味があるとわれわれは考えています」。