「相対的貧困」の子が教育困難校に集まる現実 「ひとり親」家庭で世代間の負が再生産される
今の高校生の親世代は、1970年代生まれが中心。この時代は、子どもを評価する際の最大の基準が「勉強ができること」となり、それまでのそろばん塾や習字塾などの習い事にかわって勉強全般を教える塾が流行しだした頃といわれている。そして、続く1980年代にかけて「落ちこぼれ」という言葉が生まれた。学校の勉強について行けなくなった彼らは教師に激しく抵抗する。外見的にも、制服を改造し、独特の髪形をして、一目で「ワル」とわかる見た目を作った。まさに、この時代に高校生活を過ごしたのが、今の高校生の親世代であり、その価値観を受け継いで、彼らの子どもたちは現在の「教育困難校」の第1タイプ(ヤンキー系)の生徒になったのだ(第2タイプは無気力系、第3タイプは不登校系。前回記事「教育困難校には、どんな生徒が来ているのか」を参照)。
この親たちは、学校という制度への反感も強く、学校の被害者という意識を今でも持ち続けているようだ。そのため、学校と協力して子どもの教育にあたろうという思いがない。子が飲酒・喫煙、恐喝などを行って、指導のため保護者が呼び出されても、「学校が悪い」という姿勢を崩さない。何かの拍子に「モンスターペアレント」になり得る可能性も高い。
かつてのツッパリ、ヤンキーが親に
また、自分自身が勉強に恨みをもっているためか、「勉強は大事である」とは子どもに伝えていない。むしろ、「勉強よりも大事なことがある」と言い、スポーツやゲーム、ファッション等、自分にとって居心地の良い活動を重視し、何より友人関係に重きを置く。自身が高校中退で、職業選択に苦労した親にとっては、高校生活の質はともかく、何はともあれ、高卒の資格が得られて良かったと思うのは、共通した本音に違いない。
第1タイプ「ヤンキー系」の保護者とは正反対に、ほとんど普段着で来校し、ひっそりと会場の席に座っている保護者たちがいる。この人たちは、第2タイプ「無気力系」、つまり、おとなしくまったく生気のない生徒たちの保護者である。教職員におどおどした態度で接し、周囲の保護者とはほとんど話さない。祖母、祖父と思われる人が親の傍について来ていて、保護者用の受付で行う記名などの記入作業を代わりに行っている姿も時々見られる。
肩を狭め、うつむきがちなひっそりとした姿は、教室での子どもの姿と瓜二つだ。この親子は、厳しい社会を今後どうやって生きていくのだろうかと心配になるほどである。この2つのタイプの保護者とその子どもはまさに相似形であり、しっかりとした再生産の連鎖ができていると、教師たちは卒業式の場であらためて実感してしまう。
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