日本は今、歴史の「特異点」を越え、1500年以上継続した国家が存続しうるかさえ心配になるという。『日本が世界地図から消滅しないための戦略』の著者、月尾嘉男氏に聞いた。
──古代のカルタゴやベネチア共和国にそれほど似ているのですか。
歴史上長期にわたって安泰で、大いに繁栄を謳歌していたのに消えてしまった国々だ。カルタゴは紀元前に建国後670年ほどでローマに、ベネチアは1100年ほどでナポレオンによって地中海の覇者の座から引きずり下ろされ、消滅した。
最先端技術を持てない国は弱い
カルタゴが滅びた要因を今の日本と比べつつ分析すれば、大きく三つに集約される。一つは、もともと本土は人口20万ほどの国でローマと戦うような大軍はとても持てなかったこと。ヌビア族というアフリカの先住民族を傭兵として雇った。だが、傭兵はカネでどちらにも転ぶ。ローマとの3次、120年にわたるポエニ戦争で問題が噴出した。この事実からの教訓は、安全保障を米国に頼る日本の面倒を米国は最後の最後まで見てくれるかといえば、それはわからないということ。
二つ目は、カルタゴは経済大国だったが、文化大国ではなかったこと。つまり、カネ稼ぎには大いに才能があった。その証拠に第2次ポエニ戦争で負け、ローマが50年年賦でとんでもない賠償金を課した。1年分がローマのGDP(国内総生産)に近かったという。それでもカルタゴは頑張って半分ぐらいの年数で支払った。こんなに稼げるやつはいずれ反抗してくるとローマは見逃さなかった。逆に警戒心をあおったのだ。
三つ目は、ローマのマルクス・ポルキウス・カト・ケンソリウスという政治家の恨みを買ったこと。後に大カトといわれた彼は第2次ポエニ戦争に兵士として従軍し、ほうほうの体で逃げ帰った体験を持つ。戦争が終わって視察団長としてカルタゴに出向いた大カトは、帰国後ローマの市民に見事なカルタゴ産のイチジクを見せながら、「ここからわずか3日の船旅先のアフリカ北岸にこんなに豊かな産物を生産し繁栄している国がある」と演説する。彼はその後どのような演説でも、いつもデレンダ・エスト・カルタゴ(カルタゴを殲滅すべし)と締めくくったという。
大カトは、カルタゴからすれば誹謗(ひぼう)に近いことまでまくし立て、ローマ人のカルタゴを滅ぼそうとする士気を鼓舞し、それが第3次ポエニ戦争に結び付いた。今の日本に立ち返れば、何やらどこか似ていないか。
──ベネチアは?
まず技術革新に対応できなかった。アルセナーレといって今もイタリア海軍が使っている造船所を造り、そこで早く安く大量に軍艦を造る画期的な技術を開発した。だが、レパントの海戦で連合軍に参加し、それまで無敵だったオスマントルコに勝った頃には、ポルトガル、北欧、オランダなどで新しい帆船の技術が開発されていた。この風上にさかのぼれる帆船は、大型になるから造船費用も高くなる。これに対してベネチア議会は造船費用をそれほど増やさなかった。結果、船の数が減って弱体化していく。
最先端技術を持てない国は弱い。最近、日本の技術関係者がショックを受けたのはロボットのコンテストだ。1次審査の際は東京大学の助教クラスが開発したロボットが断トツだった。翌年、2次審査になったときには、そのチームは米グーグルに買収されていた。日本は6チームが残っていたが、いずれもビリから並んでしまった。ちなみに1位は韓国だった。技術でトップでないと、結局国力を弱めることにならないか。
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