最終回・対話の現場/わかりあえない時代になぜ対話が必要なのか

最終回・対話の現場/わかりあえない時代になぜ対話が必要なのか

北川達夫 日本教育大学院大学客員教授

やんぬるかな、という言葉がある。漢文の訓読の定番表現で、「もうおしまいだ」という意味である。手を尽くしたが、どうしようもない。もはや、これまでか──これが「やんぬるかな」である。

私は本連載を通じて、対話の発想と技法を説いてきた。各地でワークショップを開催し、対話の技法を伝えてきた。また、学校教育にも対話を導入してきた。いずれも、それなりの手応えがあった。

だが、世の中を見渡しつつ、自分の活動を振り返ると、「やんぬるかな」という思いにとらわれる。

たとえば、民主党は「熟議の国会」を標榜して政権の座に就いた。「熟議」とは政治学の言葉で、「対話」とほぼ同義である。では、今の国会に対話はあるか?

バラク・オバマは「対話と協調」を標榜して米国大統領の座に就いた。では、オサマ・ビンラディン殺害の麗々しい喧伝が「対話と協調」の成果なのか? 今の米国のどこに、どのような対話があるというのか? どこにも対話がない。対話のカケラすら見いだせない。まさに「やんぬるかな」なのである。

21世紀のキーワードは「多様性」と「共生」であり、それは対話によってのみ成し遂げられる。だが、それは画餅にすぎないのか?

対話の理想と現実 それでも対話は必要か

ここでいま一度、対話の基本に立ち返って考えてみることにしよう。

対話とは、相手と「わかりあえない」ことを前提とするコミュニケーションである。

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