対話の現場/ふまじめのすすめ新しい対話的発想法

対話の現場/ふまじめのすすめ新しい対話的発想法

北川達夫 日本教育大学院大学客員教授

先日、作家の石田衣良さんと対談講演をした。フォーラムディスカッション「知層をつくろう~新しい生き方・ことばの力~」というイベントである(9月25日・於全電通労働会館)。

この先行きの見えない時代に、どうやって生きていけばよいのか。特に段取りを決めることもなく、結論を出すこともなく、壇上でとりとめのない雑談をする--このような趣向のイベントであった。

とりとめのない雑談とはいえ、いくつかの強烈なメッセージが提示され、そこから話が展開した。中でも興味深いのは、「ふまじめであれ」と「そんなこと、どうでもいいじゃないか」というメッセージである。

いずれも、それこそ「ふまじめ」な感じがするかもしれないが、対話的発想においても重要なことだ。

それはどういうことなのか? 今回のテーマである。

まじめであるために全体が見えなくなる

「まじめ」とは、「真剣であること」あるいは「物事に真剣に取り組むさま」を意味する。

いいことじゃないか。そう、いいことである。まじめであること自体が悪いというのではない。

ただ、表面的な問題点としては、この不確かな時代において、他者と同じことを、人一倍まじめに考えて、人一倍まじめにやったとしても、それが報われるとは限らない。人並み以上の努力をしても、人並みの幸せすら得られないかもしれないのだ。まじめであればあるほど、自分で自分を責めてしまう。自分を裁いてしまう。実に報われない。

まじめさは、往々にして多数派と同じであろうとする。いわゆる「普通」であることが、すなわち「まじめ」であるということか。

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1976年に創業し、90年代の渋カジブームを牽引したビームスが今も元気だ。創業以来赤字知らず。40年、最先端を走り続けられる秘密は何か。設楽洋社長への独占インタビューを掲載。