最終回・対話の現場/わかりあえない時代になぜ対話が必要なのか

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現実に「わかりあえない」かどうかは問題ではない。あくまでも「わかりあえない」と仮定するのである。そうすることによって、コミュニケーションにおける「甘え」を排除できる。「言わなくてもわかってくれるだろう」という甘えが、余計な誤解を生むのである。

言わなければわからない。だが、どれほど言葉を尽くしても、すべてを言葉で表現することはできない。言葉には限界があるのだ。同様に、相手の言葉をすべて聞き取っても、すべてを理解できるわけではない。人間は自分の知識や経験と関連づけることによって、相手の言葉を理解する。だから、知識や経験を超えたことは理解できない。理解にも限界があるのだ。こうなると、話し手と聞き手は、互いに理解と納得を求めて歩み寄るしかない。そうしなければ、わかりあいようもないのだ。

理解と納得を求めて歩み寄る。これが対話の基本構造である。

ただ、「歩み寄る」といっても、現実にはそうそう簡単に歩み寄れるものではない。自分と相手の価値観が違う場合、それも根本的に違う場合、歩み寄りは困難なのである。

特に倫理観の絡む場合は厄介である。倫理的に許せないことを主張する相手には、生理的嫌悪感をもよおすものだからだ。

たとえば、犬を「人間の友達」と考えている人たちにとって、犬を食用にする人たちのことは絶対に許せないだろう。その一方で、犬を「人間の友達」と考えている人たちは、同時に人間は動物の生殺与奪の権を持っていると考えていることがある。そのため、人間の都合で、動物をあっさりと安楽死させてしまったりするのだ。こういった発想を、絶対に許せないと思う人もいることだろう。

相手のことを絶対に許せない、と思うのは仕方のないことである。だが、それで相手を「理解不能のやつら」として排斥し、コミュニケーションを断絶させてもよいのか。これでは、多様な人々が共生していくことは難しいのではないか。

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