新しい命を宿した時、多くの女性がまず考えるのは、「健康に産まれてきてほしい」ということではないだろうか。だが、時としてその願いが叶わないこともある。わが子に障害があるとわかったとき、仕事はどうなるのか。
仕事を辞めるなんて思っていなかった
中村洋子さん(46)はこの春、福岡市内の短期大学で、保育士・幼稚園教諭を目指す学生に幼児体育や子どもの体の発達について教える常勤講師の職に就いた。中村さんには2人の子どもがいる。今年13歳になる二女は、歌舞伎メーキャップ症候群という疾患を持って産まれた。切れ長の目などの特徴的な顔立ちが、歌舞伎の隈取を思わせることからこうした名前が付けられている。口蓋裂や低身長、骨格異常などさまざまな体の症状のほかに、知的障害も伴う。
「また、こういう場所に戻れるとは思っていませんでした」。大学の研究室でこう言って晴れやかな笑顔を見せた中村さんだが、その言葉からは、ここへ至るまでの道のりが決して平たんなものではなかったことがうかがえる。
22歳で体育大学を卒業後、1年間の非常勤講師を経て、山口県内の大学で講師や専任助手と、順調にキャリアを積んでいた中村さん。28歳で結婚し、2000年に30歳で長女を出産する。産休・育休を経て、元の職場に復帰。公私ともに充実した日々を送る中、第2子を妊娠する。「大学の仕事は本当にやりがいがあり、辞めるなんて気持ちは欠片もありませんでした」。当然、育休が明けたら仕事に復帰するつもりだった。
2002年、二女を出産。ところが出産後間もなく、上あごの奥の方が裂けている軟口蓋裂という症状があることを医師から告げられる。ミルクを自分で飲めないため、そのまま大きな病院のNICU(新生児特定集中治療室)に運ばれ、鼻から胃へ管を通しながら哺乳をすることになった。
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