「日本一カレーを愛する街」を知っていますか 歴史と文化と風土が「奇跡の集結」

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「女房にするなら越後女」。そんな言葉があるほど働き者で夫に尽くし、離婚もしない良妻賢母であることの裏返しともいえる。この2つのデータから類推すると、働き者の新潟の女性たちは家事と仕事を両立させ、時間がない中で、手っ取り早い料理であるカレーをたくさん作っているというひとつの仮説が成り立つ。

ピエトロ・ミリオーネという男

それだけではない。時代背景も見逃せない。

幕末、日本で開港した5港のうちのひとつが新潟港。新潟市民は日本中でいち早く外国からの新しい洋食に接することができ、その中でも生まれて初めて食べたカレーは新潟市民にとって衝撃的な食べ物だったに違いない。

そして取材をする中で決定打となる理由を発見。それは皆が口々に発する「イタリア軒」という洋食屋さん。なんでも創業140年という歴史を持ち、「上野の精養軒」「函館の五島軒」に並び、日本を代表する洋食店に数えられている名店中の名店。実は新潟市へ最初にカレーを持ち込んだのがこのイタリア軒創始者のピエトロ・ミリオーネ。彼こそが新潟のカレー史を語る上で欠かせない人物なのだ。

時は明治時代初期、開港で活気付く新潟市に、フランスのサーカス団のコックとして来日したイタリア人のミリオーネ。しかし、事故で大けがを負い、新潟市に残ることを余儀なくされる。この運命のいたずらがなかったらカレー王国新潟市は誕生しなかったに違いない。

ミリオーネは明治7(1874)年、洋食レストラン「イタリア軒」を開店した。そのイチオシメニューが、インド発祥のカレーライス。イタリア軒の開店以来、その存在が新潟市民に徐々に知られるようになっていき、瞬く間にカレーは新潟市民の間で大ヒット、そして身近なものとなっていった。

歴史の渦に翻弄された一人のイタリア人と新潟市民との出会い。それは後世に残る最高の化学反応となった。新潟市民のカレー愛は、こうした時代背景から誕生したのだ。

新潟市は日本一のお米の産地でもある。歴史的な経緯と家庭を大事にする風土、もともとの食文化――。カレー愛が定着する条件が奇跡的にそろい踏みしたことも、カレー大国の形成に関係しているはずだ。

TBS『世にも不思議なランキング なんで?なんで?なんで?』取材班

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