──「紛争屋」なのですか。
今教えているのは「平和と紛争」学、つまり国際関係論。僕自身、現場にいたが、学者の書いたものを現場にいる人は読まない。読まないから国際関係がおかしくなると学者は思いがちだが、現場のほうはそれが現実離れしていて役に立たないと言っている。僕は両方をリンクするものを目指しているが、教員自体を天職とは思っていない。
──現場?
もともと理科系で、建築をちゃんと勉強していた。あえて紛争屋と自称しているキャリアは20代半ば頃、インドのスラム街から始まった。その後、国際非政府組織(NGO)の現場事務所長として、アフリカのシエラレオネ、ケニア、エチオピアで農業開発にかかわり、国連平和維持活動(PKO)の幹部としては、東ティモールの知事になって多国籍軍大隊を統括しつつ、国づくりの指揮も執った。40代で同じくPKOで再びシエラレオネにて武装解除に携わり、2003年から翌年にかけてはアフガニスタンで日本政府の代表として軍閥たちの武装解除も指揮した。
そしてタリバンの若者がイスラム国に共鳴する
──「イスラム国」とはかかわりがないのですね。
かかわりはない。しかし、構成員はアフガニスタンからもパキスタンからも参加している。イスラム国はアフガン戦争あたりに起源があり、アルカイダから分派し、その発生の根源地域で僕は働いていた。
タリバン運動のムラー・オマール指導者が隠匿されて15年ぐらいが経つ。うわさには聞いても会ったことはないし、指導者として代わるような人物もいないとなると、タリバンの若い連中はむしろイスラム国に共鳴することになる。そこでリクルートに応募したり、その拠点に鞍替えしたりすることがすでに始まっている。
──イスラム国の展開地域はシリアやイラクばかりではない……。
シリアのアサド政権を倒すために米国はシリアの反政府ゲリラを支援した。その反アサド運動をアルカイダに共鳴する人々が担ったので、米国や欧州の支援が今のイスラム国的なものを大きくしたともいえる。
──アフガニスタンではどうなりそうですか。
心配している。米軍撤退が昨年末に始まった。大統領も代わり、しばし静観の状態だが、もしタリバンが台頭したら、われわれの作ったアフガン軍がイラク軍のように武器を放棄して逃げ出さないかと戦々恐々としている。そうなったら従来のタリバンに加え、パキスタンタリバンが成長するだろう。真剣に心配しなければいけないのは、パキスタンの保有している核兵器がどうなるかだ。一説には国内のあちらこちらに移動させているようだ。
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