西欧に対する「イスラムの怒り」とは? 内藤正典・同志社大学教授に聞く(前編)
イスラム移民が西欧でどのような環境に置かれているのか、イスラム社会、イスラム教徒が西欧の何に怒っているのか、同志社大学大学院グローバル・スタディーズ研究科長の内藤正典教授に話を聞く。
「やり過ぎ」という批判が通用しないフランス人
――暴力は許されない、とはいえ、「シャルリ・エブド」紙のことさらにイスラム教徒の宗教的感情を傷つけようとするやり方には、日本人から見ても納得しがたいものがありました。
日本だけでなく、イギリスでもアメリカでも「シャルリ・エブド」紙によるイスラム教の預言者ムハンマドの風刺画は、風刺という範囲を超えて、神や預言者を冒涜しており、「やり過ぎである。表現の自由にも節度がある」という意見が多い。だが、「やり過ぎだから自制しなさい」という論理はフランスには通じない。
フランス共和国の理念は「ライシテ」というものだ。カトリック教会が個人の行動や価値観にまで干渉し、人生そのものを支配しようとして、王権と結託して、人民を抑圧してきた。これに対するフランス革命をはじめとする長年の闘いを経て、1905年に「国家と教会の分離法」を持って、「宗教は公の領分に関わってはならない」とした。これが「ライシテ」。
日本には「ライシテ」に合う訳語がないので、とりあえず「世俗主義」と訳しているが、単なる「政教分離」ではない。「政教分離」は「政治と宗教を切り離しなさい」程度の意味だ。しかし、「ライシテ」は個人が公の場で宗教を持ち出すことも禁じている。
これが徹底されることで、フランスは、宗教から自由になった。例えば、LGBT(レズビアン、ゲイ、バイセクシュアル、トランスジェンダー)の人たちにとっては、生きやすい社会をつくることになった。フランス人にとってはかけがえのない権利である。
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