「祖父母頼みの子育て」を礼賛できないワケ 現代日本で、どうやって子どもを育てるか?

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子育てを担うべきは誰か? 《写真:【Tig.】Tokyo image groups / Imasia(イメージア)》

 

もうすっかり忘れ去られてしまっただろうけれど、1年ほど前、ある自民党の杉並区議が「子育ては本来は家庭で行うもの」とブログに書いて、働く女性たちの批判の的になったことがあった。最近も「女性が男性と同じように働けるわけがありません。もともと、性差というものが存在するのですから。(中略)「自己実現」のために「母親」という一番大切な役割を犠牲にしてしまっては、本末転倒です」などと書いているのを見ると、所属政党とも相まって、保守的と見なされるのも当然なのだろう。

でも、これって本当に保守的だろうか? ぼくはそう思わない。そもそも核家族を前提にして、専業主婦一人で子育てするなんて、日本の歴史でもまれな現象にすぎないし、そういった家族こそが革新政党の支持者だったのではなかったか。保守的な子育てということを考えるなら、旧来的な共同体にはあった血縁や地域(もしくは武家のような職分による共同体)による子育てこそ重視しなきゃいけないだろう。

吉本芸人の親の生活保護受給問題を振り返っても……

けれど、地域共同体の役割が薄れた現在において、こうした考え方は決して有効とはいえない。実際、そうした「地域社会の中の家族」とでもいうべきモデルが失われるに従って、国家はそこで担われていた機能を代替してきたのだ。血縁や地域と無関係に、個人や世帯が国家と直接向かい合うこうしたモデルを「社会民主主義」モデルという。

ところが最近になって、地域が無理なら血縁と、「血縁家族」モデルへの回帰が訴えられるようになってきた。一時期話題になった吉本芸人の親の生活保護受給問題なんか典型的だ。追及した政治家たちは法的に不正受給じゃないんだと知ると一斉にモラルの欠如を難じたけれど、そうしたモラルの強調自体が、血縁者は扶養義務を負うべきという「血縁家族」モデルへの志向を示すものだ。

そもそも、法的には、疎遠になった家族に対しても、カネを渡せばパチンコにつぎ込んでしまう親に対しても、扶養義務自体が消えることはない。実際に扶養を行うかどうかについては家庭の状況が勘案されるのだけれど、法的義務としての扶養義務が消えることはないのだ。

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