商品テストの注意喚起は、いいものをつくってほしかったから 『「暮しの手帖」とわたし』を書いた大橋鎭子氏(暮しの手帖社社主)に聞く
1948年創刊で、往時には90万部を誇った『暮しの手帖』をつくり続けてきた著者が、90歳にして「自伝」を刊行した。その熱い思いと、とっておきの話を聞いた。
--90歳での書き下ろし?
十数年前から書いたり、直したり、消したり、付け加えたり。ちょうど2年前が『暮しの手帖』創刊から60周年だったので、そこでの刊行を期したが、結局、今年になった。
--パートナーであり、表紙も描く伝説の名編集者、花森安治さんが亡くなって32年が経ちます。
私たちは育てられた。花森さんはおっかなくてやさしい。花森さんがいなかったら、『暮しの手帖』はなかった。
--おっかなくてやさしい?
怒鳴ることもあるが、ごきげんが悪そうねと、ほっとく。黙ってしまって、仕事を一生懸命する。何でもできる人で、罵倒することもあったが、そういう時は帰りに、ちょっと寿司でも帝国ホテルに食いにいかないかと誘う。逆に、今日は怒っているから、夜はごちそうだ、と期待したりして。
上から教訓を垂れるようなことは嫌がった。読者目線、庶民目線で考えた。当時も吉兆など高嶺の花だったが、あそこの食べ物を庶民に食べさせる工夫はないかと考える。庶民にもっとおいしく食べてもらおうと、吉兆の一流の板前に家庭料理をつくってもらう。誌面でそういう工夫もけっこうしている。