商品テストの注意喚起は、いいものをつくってほしかったから 『「暮しの手帖」とわたし』を書いた大橋鎭子氏(暮しの手帖社社主)に聞く
妹も、物理学者の長岡半太郎さんから1年後なら書いてやると言われて、本当に1年後に行ったら、おう本当に来たねと言って、その日に原稿をくれた。ほかにも断りの手紙が来て、すぐに出かけ、見てないといってお願いするケースも。伺って顔を合わせると、書かないわけにはいかなくなるところがあった。
川端さんにかわいがられ、そのおかげでいろんな先生にも、お願いする。川端さんが書いているなら私もとかで、雑誌の格が固まった。
--商品テストも画期的でした。
ミシンを闇市で買ってきた。美しいミシンだったが、動かない。こういうものをみなさんが間違って買うようになってはたいへんだと思い、商品をテストしようと考えた。これは、ただ購入者に注意を喚起するだけではなく、つくっている人にも注意を喚起することで、いいものをつくってもらいたかった。
--今も現役編集者とか。
コラム「すてきなあなたに」には引き続き書いている。全部とはいかないが。企画のタネ拾い、タネ探しも続けている。土曜、日曜はうちにいない。デパートを歩く。
--願いは。
銀座(現在の本社は北新宿)に戻りたい。候補を見て回っている。
(聞き手:塚田紀史 =週刊東洋経済2010年7月17日号)
おおはし・しずこ
1920年生まれ。旧東京府立第六高女卒。日本興業銀行調査課勤務、日本女子大学学生などを経て、日本読書新聞入社。花森安治と知り合い、46年『スタイルブック』を創刊。48年に『美しい暮しの手帖』(後の『暮しの手帖』)創刊。78年花森死去で編集長となり、79年社長。2004年より社主。
『「暮しの手帖」とわたし』 暮しの手帖社 1800円 274ページ
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