商品テストの注意喚起は、いいものをつくってほしかったから 『「暮しの手帖」とわたし』を書いた大橋鎭子氏(暮しの手帖社社主)に聞く
--高等女学校時代に歯磨きをつくったそうですね。ベンチャー精神はそのころから。
自分の名前にちなんで「オーシー歯みがき」と命名した。つくり方は歯医者さんが教えてくれた。母の歯槽膿漏を言ったら、これを使いなさいと。クラスメートに欲しいという人がいて、少しでも家計の足しになればと思った。
--初期の原稿取りでは、「やりくりの記」と題された東久邇成子さん(昭和天皇の第一皇女)の寄稿が画期的です。
皇族はマッカーサーの庇護でうまいものを食っているというのが世間の評判だった。ほんとかどうかそれを書いてもらったらと花森さんが発案した。照宮さま(東久邇成子さん)に白羽の矢を立てた。花森さんご本人は、考えるが、原稿を頼みには絶対に行かない。依頼に訪問するのは私たちばかりだった。
六本木の御殿に伺うと、原稿は書いたことがないと言う。綴り方なら学習院で習ったと。綴り方をお願いした。何回も行って、お子さんの相手をするようにもなった。お子さんにお馬が来た、お馬が来たと言われるようにもなって、何とか原稿をいただいた。
しかし、花森さんは、これではうまいもの食べているかどうかわからない、書き直してもらえと言う。そんなことはとても言えないので、枚数を間違えた、増やしてほしいとして、何とか続けて書いてもらった。そして、出来上がったが、苦労したかいがあって、この号はよく売れ、『暮しの手帖』は一気にのぼり調子になった。
--著名な人を続々と口説きます。川端康成さんは創刊号から寄稿しています。
大方は花森さんの人選だったが、川端康成さんは読書新聞の復刊に目玉として、私がご自宅に通ってからの縁。その時、何回も伺ったが、いつも今日はまだできていないという返事だった。それでも伺うと、キミは頑強だね、これで5回目だよ、と言いつつ、チョット待ってなさいと。2時間ほどで書いてくれた。