リクルート、37歳の司令塔が描く「新戦略」

リクルートの若き経営室室長と語る(上)

 本連載では、『武器としての決断思考』『僕は君たちに武器を配りたい』『君に友だちはいらない』 の著者で、エンジェル投資家の瀧本哲史・京都大学客員教授が、各界で新たなロールモデルとなる注目の若手と対談、これからのビジネスパーソンと日本企業の生き方を探ります。第2回目は、リクルートで37歳にして、経営企画室室長、人事統括室室長を兼任する今村健一氏をゲストに迎えます。ホールディングス化、グローバル化で大きく変わるリクルートの、今と未来について聞きました。

東大の理系学生が、リクルートに入った理由

瀧本:リクルートには、新卒で入られたんですか。

今村:1999年に新卒で入社しました。今、入社して15年め、37歳です。最初の配属は「じゃらん」の営業でした。「じゃらん」の営業は大きく分けて「宿」に対する営業と、「旅行会社」に対する営業の2つがあって、私は後者を4年間やりました。

そのあと突然、まったく違う職種の経営企画室に異動になりまして、経営企画の仕事と人事の仕事を4年弱、兼務しました。次にアルバイトの情報を主に扱うタウンワークやフロムAなどの事業企画に異動になって、そこで課長になりました。その仕事を4年間くらいやって部長職に上がり、昨年の4月に本社スタッフに戻ってきて、今は経営企画室長です。この4月から人事も一緒に見るようになったので、人事統括室室長も兼務しています。

瀧本:なぜリクルートに入ったのか、教えてください。ご出身は確か東大の理系でしたよね。

今村:はい、船舶海洋学科といって、船の設計などを学ぶ学科にいました。

瀧本:ということは、成績が悪かった?(笑)。

今村:ええ、でも戦時中は軍艦を造っていて、入るのがいちばん難しかったと聞いたことがあります(笑)。

瀧本:船舶海洋学科は最も早くコンピュータ化が進んだので、卒業後はIT業界に進んで成功している人が多いですよ。つまり船を造るとき、昔は本物の水の上に船を浮かべていたけれど、そんな大変な実験はどんどんコンピュータシミュレーションに変わっていったので、いちばん早くITに近い分野になったから。

似たような話はほかにもあって、鉱山のマイニングをするようなマイナー学科が、だんだん「当たる確率の低いものを当てる」という金融工学のようなものになっていって、気づくと原型をとどめないような学科になった。だから東大の学科ではもう終わってるようなマイナーな分野が、次のイノベーションを起こすことがある。いつも人気の理物(理学部物理学科)は意外に報われていないんですよ。

今村:理物はいつも人気ですけどね。あ、入社動機の話でしたね。

リクルートに入ろうと思ったのは、先輩たちが若くて元気な人ばかりで、「人」が魅力的だったことが大きいです。もうひとつは当時、地域活性事業部という地域にフォーカスした事業があって、それに共感してやってみたいと思ったこと。

もうひとつ言えば異動しやすそうだとも思いました。リクルートにはいろいろな部門があるので、異動すれば転職しなくても転職感覚を味わえるというか、自分の好きなことを会社に入ったあとに見つけられそうだと。

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