任天堂スイッチ、大ヒット商品開発の舞台裏

Wii Uのリベンジ、開発者が明かしたこだわり

――据え置き機ならではの2人で遊べる点も重視した。

小泉:ファミリーコンピュータ(任天堂がハードメーカーとして躍進するきっかけとなった、1983年発売の据え置き機)では本体に2つのコントローラが付属しており、追加のコントローラを買わなくても2人で遊べるようになっていた。その要素をスイッチにも取り入れた。

1台で2人が遊べると、自分でゲーム機を持っていない人もゲームに触れることができる。そこで魅力を知ってもらえれば、ゲームを買う人を増やすことができるという狙いもある。

高橋:開発中に各国の方にスイッチの試作機を遊んでもらったが、どの地域でもユーザー同士が集まってプレーするとすごく盛り上がるんですよ。その様子を見て、みんなで楽しめるゲーム作りの大切さを再確認できた。

開発のベテランたちが現場に任せた

――従来の任天堂のハード開発では前社長の故・岩田聡氏、マリオの生みの親でもある宮本茂氏、長年ハード開発を統括してきた竹田玄洋氏の3人がゲーム機開発を仕切ってきた。今回の開発でも3人が中心だったのか。

2015年3月、ディー・エヌ・エーとの資本提携に関する記者会見に登壇した故・岩田聡前社長。この4カ月後に逝去した(撮影:今井康一)

高橋:開発では私と小泉、そして技術開発本部長の塩田興の3人で最終的な意思決定を行った。そもそも、今までも岩田、宮本、竹田の3人だけで誰の意見も聞かずに開発していたわけではなく、私たちもしっかりと開発にかかわってきた。その意味では、今回で開発体制が変わったということではない。

ただ、今回は3人が「必要なら一緒に考えてやるけれど、最後はお前らで考えろ」というスタンスで、相談役に徹してくれていた。歯がゆい顔をしながら見守っているというのが本当のところだったと思うが(笑)。

小泉:実際、相談の最後にはいつも「まあ、いいんちゃう、君らで決めたら」と言われた(笑)。

――2015年には岩田氏が逝去し、スイッチ開発への影響も心配された。

高橋:それはもう急な話だった。とにかく自分の仕事をしっかりとこなすしかないという思いだった。ただ先ほど話したように、最終的な意思決定を私たちが行っていたということもあり、開発自体に大きなブレが生じることはなかった。

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