豊臣秀吉は「ズバ抜けて出世する人」の典型だ 「人たらし」だけじゃない!5つの秘密とは?

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豊臣秀吉の「大出世」を実現させたものとは何か? 彼には「生まれ持った資質」と、それを最大限に生かすための「環境」があったと思います。

大出世に必要なのは「環境+才能」

では、秀吉の才能を開花させた「環境」とは何だったのか。

【1】「時代」に恵まれ、「転職」も自由だった

彼の生まれた戦国時代は、激しい戦乱が続く中で、身分や出自に関係なく「能力次第で大名にもなれるチャンス」がありました。もし彼が平和な時代に生まれていたら、能力を発揮する場もなく、出世とは無縁の平穏な一生を送ったことでしょう。

また、この時代は「出仕する家を選べる自由」が比較的あり、自分が納得いく主君を探すことが可能でした。

秀吉が最初に仕官したのは今川家の家臣・松下嘉兵衛之綱(ゆきつな)だったとされています。しかし、ほどなくして故郷の尾張へ戻ると、運命の主君・織田信長に出会います。

【2】自分に「最も適した職場」に就職した

「織田信長との出会い」は、彼の運命を大きく決定づけました。

当時の織田家はまだ弱小ながらも急成長を遂げており、新たな当主の信長は「実力主義」を徹底、出自を問わず「能力のある人材は積極的に登用」しました。

柴田勝家や丹羽長秀、前田利家など優秀な譜代家臣のほか、新参の明智光秀、細川藤孝(幽斎)など実力のある人材があふれ、切磋琢磨していきます。

そして、慣習にとらわれない柔軟な発想で天下統一という「壮大なビジョン」を掲げた主君のもとで、秀吉は大いに働きがいを感じたはずです。

【3】戦闘に明け暮れ、「手柄」のチャンスが多かった

天下統一を目指す信長には、武田、朝倉、本願寺、毛利といった強敵がつねに立ちふさがり、多方面で絶え間ない戦闘を余儀なくされていました。

こうした中で、秀吉も「突出した実戦の機会」に恵まれ、功名を立てる絶好のチャンスにあふれていました。これを着実にものにしたことで異例のスピードで昇進し、ついに「織田家重臣」の地位を得たのです。

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