戦後最大の経済事件「イトマン事件」の深奥 「住友銀行秘史」に描かれていること

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イトマンに絡む数々の不正を明るみに出し、住友銀行を救うために、日経新聞の大塚将司記者と組んで様々な内部情報をリークしたのが、『住友銀行秘史』の著者・國重惇史氏だった(撮影:尾形文繁)

日本における戦後最大の経済事件「イトマン事件」

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本書『住友銀行秘史』は、日本における「戦後最大の経済事件」と言われたイトマン事件を、銀行側からの証言で綴った貴重な資料である。当時、自分は住友銀行東京本店の隣に位置する銀行で残業しながらヒーヒー言っていたが、まさか隣でこんな壮絶な出来事が繰り広げられていたとは……。自分はつくづく子供だったと思う。

バブルを経験していない若い人には理解できないかも知れないが、1997-98年の大蔵接待汚職事件を契機に大蔵省から金融庁と証券取引等監視委員会が分離独立するまでは、銀行というのはかなり恣意的な(ずさんな?)融資を行なっていたのである。 そして、新しい資本市場や金融規制の流れを理解しないで、いまだに旧態依然とした経営を行なっている古い体質の大企業が不正経理問題などで次々と馬脚を現しているのは、必然の流れと言えるだろう。もはや「時代は変わった」のである。

1990年前後に起きたイトマン事件を覚えているのは、せいぜい40歳代くらいまでであろうから、少しおさらいしておくと、これは大阪の総合商社イトマンを巡って起きた不正経理事件であり、その真相の多くは依然謎に包まれたままである。 繊維商社だったイトマンは、オイルショックで経営環境が悪化したことから、住友銀行(現三井住友銀行)の元常務・河村良彦を社長として起用し、総合商社への方向転換を図った。

ここに目をつけたのが、自称経営コンサルタントの伊藤寿永光であった。伊藤は、目黒雅叙園に隣接する雅叙園観光ホテルを経営していた雅叙園観光の仕手戦に関する融資が焦げ付き、資金繰りに窮する中、住友銀行の磯田一郎会長やその腹心である河村に急接近し、イトマンの経営に筆頭常務として参加するようになり、イトマンを介して住友銀行から融資を受けるようになった。

同時に、雅叙園観光の債権者の一人であった許永中(野村永中)も、伊藤を通じてイトマンと関係を持つようになった。 1990年5月、日経新聞でイトマンの不動産投資による借入金が1兆2000億円に膨れ上がったことが報道されたのをきっかけに、許は河村に美術品や貴金属などに投資すれば経営が安定すると持ちかけ、これを受けてイトマンは許の所有していた絵画・骨董品などを総額676億円で買い受けた。

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