「大将軍駅」が語る「短命モノレール」の大構想 姫路市内の南北結ぶ路線計画や鳥取延伸も…

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こうして姫路市は1963年1月、姫路~手柄山南間1.9km(後に姫路~手柄山間1.6kmに変更)を結ぶモノレールの営業許可(地方鉄道免許)を申請。翌1964年11月に免許を受けた。

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姫路モノレールの全体計画図。姫路~手柄山間に続いて建設するはずだった南北縦断路線も点線で描かれている(国立公文書館所蔵)

国立公文書館には、当時の姫路市が運輸省に提出した地方鉄道免許申請書などの関係文書が残されている。その中には「モノレール全体計画図」と題した路線図もあった。

これは都市計画図にモノレールのルートを書き込んだものだが、これには姫路~手柄山間だけでなく、大将軍駅付近から北上するルートと、手柄山から南に伸びるルートも点線で描かれている。点線も含めた距離は約8kmで、これは北九州市の都市モノレールとほぼ同じ距離だ。

つまり、姫路市は博覧会の観客輸送を目的に姫路~手柄山間を先行整備し、続いて南北への延伸を図って姫路市内の都市交通機関に発展させる考えを持っていたのだ。

姫路モノレールの構想はこれだけではない。他にも環状線の計画や、さらには鳥取など日本海側の都市まで伸ばすという遠大な構想も語られていたという。ただ、国立公文書館所蔵の関係文書からは、環状線や鳥取延伸に関する記述を見つけ出すことができなかった。

当初から活発だった反対運動

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姫路では戦後トロリーバス(青)を運行する計画が立てられたが、すぐに中止。これに代わって計画されたのが姫路駅を中心に市内の南北を縦断するモノレール(赤)だった(地図ソフト「カシミール3D 地理院地図+スーパー地形セット」で作成)

ところで、国立公文書館の所蔵文書には、路線図のほかにも興味を引かれるものが多数あった。たとえば、運輸大臣の諮問機関・運輸審議会(運審)が開催した聴聞会の公述書だ。聴聞会は1964年10月に行われており、モノレールの賛成派3人と反対派3人、そして申請者である姫路市の公述書が残されていた。

当時は地方鉄道免許の申請があると、運審が申請内容を審査し、ときには一般市民などから話を聞く聴聞会も実施して、計画が妥当かどうかを運輸相に答申していた。姫路モノレールも、計画の発表当初から建設反対運動が活発に展開されており、運審は聴聞会の開催が必要と判断したのだろう。

賛成派の公述書は、たとえば「(モノレールの建設という)既成概念の枠内からはみ出た新しい時代の息吹きを他の人人よりも早くかぎつけ、しかもそれを実践にうつすものを進歩的とか、先見の明とかいう」など、どことなく情緒に訴えかける言葉が多い。

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