前回は、京浜東北線の蒲田駅と東京湾岸の羽田空港を結ぶ「幻のモノレール構想」を取り上げた。今回も、京浜東北線の大井町駅から湾岸の大井埠頭を目指すはずだった、幻の「大井モノレール」を紹介する。
私が大井モノレールの名を初めて聞いたのは、確か10年くらい前。当時は名前以外の情報がなく、どことどこを結ぶ予定だったのか、いつ頃計画されたのか、いつ頃中止されたのか、何もかもがわからなかった。
その後、『交通年鑑』(財団法人交通協力会)の1973年度版に、計画の概略が記されているのを見つけた。整備区間は東京都品川区の大井町~大井埠頭間2.4km。線路は跨座式(車両が軌道桁にまたがって走行する方式)を採用し、1975年度の開業が予定されていたという。
ルートは川の上空に
さらに国土交通省を当たってみたところ、計画の申請書こそなかったが、関係する文書やルートの略図などが残されていた。
それによると、大井モノレールは1972年7月25日、跨座式モノレールの地方鉄道免許を申請。当時埋め立て工事が進んでいた大井埠頭や、再開発が検討されていた国鉄(現・JR東日本)大井町駅付近の開発需要を見込み、モノレールの整備を計画したようだ。
略図では、大井町駅から立会川の上空を進み、大井埠頭に入るルートが描かれている。駅は東ビル(大井町駅東口)・立会川(京急線立会川駅付近)・大井競馬場(東京モノレール大井競馬場前駅付近)・大井ふ頭(大井ふ頭中央海浜公園の北側)の4駅を設置することが考えられていた。
しかし、申請から10年後の1982年1月25日、大井モノレールの「代表取締役 嶌信正」が申請の取り下げ願いを提出している。これを受けて当時の運輸大臣は、同年4月1日付で申請書を返付。計画は幻に終わった。
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