京急「赤字決算」があぶり出した幻の路線計画

久里浜線延伸「凍結」に秘められた本当の理由

京急久里浜線の終点・三崎口駅。線路の先は国道134号の下をくぐるトンネルが設けられている。久里浜線の延伸計画の名残だ

京浜急行電鉄(京急)は今年3月、前2015年度の連結業績予想を修正。純損益は黒字としていた前回予想(2015年11月)から一転して、40億円の赤字とした。5月に発表された連結決算では赤字幅が縮小されたものの、それでも30億1100万円の赤字だった。

京急が最終赤字となったのは、東京急行電鉄(東急)から分離する形で設立された1948年以来、初めてという。大手私鉄の赤字決算ということもあり、業績予想修正の発表時には、業界関係者の間ではちょっとした「ニュース」となった。ただし、赤字転落は経営が悪化したためではない。京急久里浜線の「幻の延伸計画」が決算に影響を及ぼしたためだ。

軍事目的で始まった延伸

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久里浜線は、三浦半島南部の堀ノ内(神奈川県横須賀市)~三崎口(同県三浦市)間13.4kmを結ぶ鉄道路線だ。計画の起源は大正期までさかのぼり、戦時体制が強まった1941年6月には、現在の京急本線黄金町~浦賀間と逗子線金沢八景~新逗子間を運営していた湘南電気鉄道の手により着工する。

三浦半島には海軍の施設が多く、久里浜線も軍事労働力などの輸送を目的に、軍部の要請を受けて着工した。その後、湘南電鉄は現在の京急本線品川~黄金町間などを運営していた京浜電気鉄道と合併。さらに京浜電鉄が東京横浜電鉄と合併して東急に組み込まれるといった変化はあったものの、1943年9月までに現在の堀ノ内~京急久里浜間が開業している。

戦後は旧・京浜電鉄線と旧・湘南電鉄線を東急から引き継ぐ形で、現在の京急が発足。1950年代には三浦半島の住宅開発などと連動する形で、三崎漁港で知られる三浦市三崎地区への延伸計画がスタートした。こうして1966年7月までに、京急久里浜~三浦海岸間が開業した。

ただ、この頃の京急は、東京都心への乗入れを図る品川~泉岳寺間の建設に注力しており、三浦海岸駅から先の建設に資金を回す余裕がなくなっていた。その上、三崎地区は地形が険しく、少ない平地に住宅が密集していて鉄道の建設は困難。三浦市との調整も進まなかった。

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