「大将軍駅」が語る「短命モノレール」の大構想 姫路市内の南北結ぶ路線計画や鳥取延伸も…

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姫路モノレールの大将軍駅を3・4階に設けた高尾アパート。老朽化のためまもなく解体される(筆者撮影)

突っ立っているだけでも汗がダラダラと吹き出た8月13日の朝。JR姫路駅(兵庫県姫路市)から西へ500mほど歩いていくと、地上10階建ての古びた高層建築が見えてきた。その名は「高尾アパート」。名前はこの付近の町名である高尾町に由来している。

高尾アパートにはもうひとつ、「大将軍駅」という名前がある。アパートの3・4階部分には「空洞」が設けられており、ここに姫路市が運営していたモノレール線(姫路モノレール)の駅が設置されたのだ。どこかの独裁国家に実在しそうな駅名も周辺の旧地名に由来しており、付近には大将軍神社や将軍橋がある。

さっそく切符を買ってホームへ……というわけにはいかない。大将軍駅は48年前に営業を休止しており、駅の施設も昨日まで閉鎖されていた。しかし、この日は大将軍駅の一般見学会が開催され、1時間ほど駅の構内を見回ることができた。

2年足らずで休止された幻の駅

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姫路モノレールは、国鉄(現・JR西日本)姫路駅近くから西に進んで高尾町から南下し、標高50mの小高い山(手柄山)までを結んでいた市営モノレールだ。戦後、公園として整備された手柄山への観光客輸送を目的に計画され、1966年5月には手柄山を会場とした姫路大博覧会の開催にあわせて開業した。

ところが、当時としては運賃が高すぎたこともあり、博覧会の閉幕後は利用者が激減。1日平均の通過人員(旅客輸送密度)は過疎地のローカル線並みの300~400人程度で推移し、経営も一気に悪化した。

姫路市は1968年1月、経営減量化の一環として、特に利用者の少なかった大将軍駅の営業を休止したが、それでも経営が好転することはなかった。こうして姫路モノレールは、開業から8年後の1974年4月で営業を終了。1979年1月には正式に廃止されてしまった。

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