芸術から遠い分野だって、「創造力」が必要だ サミュエルソンは経済学を生まれ変わらせた
1930年代に大学生だったサミュエルソンは、シカゴ大学で経済学に触れた。それは、彼に経済学に身を投じることを確信させる宿命的な出会いだった。そしてサミュエルソンは、通貨のグラフ、成長予測、需要と供給といった退屈で重々しい経済議論に創造的な目を向けることになる。
天職と出会ったサミュエルソンは、まさに水を得た魚だった。生き生きと、そしてなにより人真似ではない正真正銘の経済学者になっていった。そして、遊び心溢れる革新性によって、サミュエルソンは無二の存在になった。
彼の目標は、堂々たる大論文を書いて大経済学者として扱われることではなかった。彼はただひたすら楽しんでいたのだ。サミュエルソンの文章は、溢れんばかりの遊び心に満ちており、彼のひらめきはときとして子どもっぽくさえあった。彼は『世代重複モデル』という強い影響力を持つ論文を書いたが、その脚注はこうだ。「『〜はずがなかろう』と結ばれた文章に『?』がつくはずがなかろう? 何にせよ、理論的矛盾は1本の論文に一つで十分なのだ……」。
経済学以外の興味を経済学に持ち込んだ
サミュエルソンにしてみれば、経済学は自分のためにある学問だった。そして自分は経済学のためにこの世に生まれたのだ。「可能な限り若いうちに、遊ぶように楽しくできる仕事と出会うことは、あなたの一生を左右しますよ。その可能性を軽んじるのは禁物です」とはサミュエルソンの言葉だ。
サミュエルソンの成功の秘訣は、彼が持っていた物理や科学といった経済学以外の興味を経済学に持ち込んだことだ。そうすることで、サミュエルソンは経済学を自分のものにしたのだ。そして自分に興味のあるすべての事象を経済学に注ぎ込んだ。彼は「純粋に楽しんでいるだけなので、給料を貰いすぎているような気がします」とも言っている。
経済学といえば、窮屈で古めかしく、同じ話を何度も繰り返す退屈な学問領域であると思われていた。創造的な分野だなどと思った人は誰もいなかった。サミュエルソンがそれを変えた。「クリエイティブではない」とされているものにクリエイティブな思考を持ち込むのは、有利に働く。
実は、事務、経理、保険、臨床研究、金融、銀行、科学など、「クリエイティブではない」、お堅いということになっている分野ほど、創造性が注入されるべき分野なのだ。そのような分野こそ、創造性が物を言うのである。創造性は、芸術や文学や音楽のためだけにあるのではない。
「目の見えない者の国では、一つ目の者さえ王になる」という諺があるが、クリエイティブな思考があれば、あなたも頭一つ前に出られるということなのだ。
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