実は末澤は、デビュー当時29歳8カ月で、当時の事務所の最年長デビュー記録を更新している。デビューできるまでのジュニア時代を下積みと捉えるならば、15年という下積みの長い人間である。この長さとカリスマ性は両立しがたいものにも思えるが、それを同時に成立させてしまっているのが末澤なのである。
さらに映画に寄せるなら、下積みを負の時間と捉えたとして、15年という年月は拓海が負ってきた期間とも一致している。そして負の期間を経たあとに、実際でも役柄でも“大化け”するのだ。
こういった、末澤の特異性である、“狂い”のようなものや、相反するものを自分の中に両立させてしまえる存在感が、悲しみを経たうえでカリスマ性を持つという難役の拓海に説得力を持たせていると言えるだろう。
ちなみに本作は当て書きではない。先に拓海という役はできていて、それにハマる役者を探す最中に、吉田監督がプロデューサーから提案を受けたといい、当時の監督は末澤を「テレビで見たことあったけど、よく知らなかった」という(※4)。
本人をよく知らなかった段階にもかかわらず、その本質に触れるような役をキャスティングした監督の慧眼にも、自分と重なりがあるような役を引き寄せられる末澤の力にも恐れ入るばかりだ。
SixTONESの松村北斗も「ジャニーズだったの?」と評価
若手のSTARTOのアイドルが映画に出演する場合、俳優としての一般的な評価で言えば、観客から「あの俳優、ジャニーズだったの?」といったようなリアクションが起きることが1つの成功の基準だと考えている。この言葉はそもそもファン以外も映画を見ている証拠でもあるうえに、その芝居の凄まじさが、ジャニーズというものに持たれている色眼鏡を壊したという意味も持つ。
最近ではSixTONESの松村北斗はこういったリアクションを起こしがちだし、少し前には『溺れるナイフ』(16年)に出演した重岡大毅もこのような評価を巻き起こしていた。今回の『mentor』を見た観客の反応にもそれに似たようなもの、平たく言えば世間に末澤誠也が“発見された”ような感触を覚えるのである。


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