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ライフ #神童だったあの子の今

「高卒で働いていた元神童」父が他界して家計に余裕がなくなり…新聞配達→ニートを経て《33歳で東大合格》した背景

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30歳になってから東大受験を始めた青戸さん
30歳になってから東大受験を始めた青戸さん(写真:青戸さん提供)
  • 新倉 和花 東京大学法学部卒・麻雀プロ
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次に関心を持ったのは、メジャーリーグの球団職員や通訳の仕事だった。本屋で出会った本がきっかけだった。まず英語を身につけようと、専門学校卒業後に働いて資金を貯め、オーストラリアへ渡った。現地では語学を学び、飲食店や、日本人向けの情報誌を発行する会社で働いた。営業の仕事では、英語で電話をかけ、広告の出稿を交渉する。勉強として学んでいた英語を、仕事で使う日々だった。

帰国後は、その力を生かして地元で働こうと考えた。ところが、肺気胸を患い、手術を受ける。退院後も、発症したときの息苦しさや痛みの記憶が残った。外出先で再発したらどうしよう。そんな不安から出かけることを避けるようになり、約1年、仕事をせずに自宅で過ごした。

再び外へ出るきっかけになったのは、以前から好きだったビリヤードだった。今から本気で取り組めば、プロを目指せるかもしれない。練習したいという気持ちから、外出するようになった。やがて練習費用が尽き、働き始める。さらに、自宅にビリヤード台を置くお金を貯めたいと、正社員の求人を探した。そこで見つけたのが、塾の仕事だった。

思わぬところで“天職”に出会う

人に勉強を教えるのは昔から得意で、英語も使える。最初の応募では不採用だったが、同じ求人を見つけて再び応募し、試用期間を経て採用された。当初は、お金を貯めたら辞めるつもりだった。その予定が、働くうちに変わっていく。

「勉強を教えるということが天職に感じるほどに楽しくなってしまった」。ビリヤードを続けるために選んだ仕事が、それ自体、続けたい仕事になっていた。

お金のためにはじめた塾講師の仕事を天職だと感じるようになります(写真:青戸さん提供)

25歳で塾講師になり、翌年には教室長を任された。生徒は増えたが、講師の確保は難しかった。授業に立ちながら、教室の運営も担う。仕事が積み重なるなかで、心身の負担は重くなっていった。

入社4年目、朝、目が覚めても体が動かない日があった。どうにか車で職場へ向かっても、今度は駐車場から教室へ入れない。翌日、医療機関を受診し、うつ病と診断されたという。それでも、生徒に教えることへの思いは残っていた。

「仕事や会社は嫌でも、勉強を教えることだけは好きでした」

その後、別の社員の助けも得て、運営と体調は回復していった。しかし、今後への迷いはあった。会社で役職が上がるほど、好きな指導の現場から離れてしまう。指導の技術を磨いて独立したくても、大学を出ていない自分が信用を得られるのか、不安があった。

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