だが、サンシャインシティの「敷地外周の道路」までは消せなかった。サンシャインシティの建物をぐるりと囲む道路こそが、まさに接収されていた巣鴨プリズンの境界線(高い塀があった位置)とその広大さを現在に伝えている。
周辺の住宅街の路地とは異なり、サンシャインの敷地だけが不自然なほど四角く区切られた場所として独立しているのは、「米軍が丸ごと接収し、その後民間に払い下げられて再開発された」という土地の歴史がそのまま区画として残ったからだ。そのため、昔の地図と照合しながら、メインゲートの位置などを確かめることができる。
としまみどりの防災公園にある遺産
そして、としまみどりの防災公園にある「石積みのモニュメント(排水口跡)」は、巣鴨プリズン以前、この地にあった巣鴨監獄時代の数少ない遺産の一つである。
このアーチ状の石積みは、もともと公園の隣接道路を支えていた石垣の一部であった。
以前この近くを流れていた「水窪川(みずくぼがわ・現在は暗渠化)」へとつながる刑務所の排水口の役割を果たしていたとみられている。道路整備に伴いこの石垣は一度撤去されたが、地域住民の働きかけもあり、歴史的遺構として保存され、現在の公園の北側入口付近にオブジェとして復元されたという。
最後に紹介するスポットは、サンシャインの南側、高速道路(首都高速5号池袋線)の高架を挟んだ対角線上に位置している日出町公園だ。あまり知られていないが、ここも終戦後米軍によって巣鴨プリズン関連の用地として接収されていた。
サンフランシスコ平和条約の発効にともない、1952年(昭和27年)に接収が解除された際、地元の人々が返地を求めて陳情請願し、それが受け入れられ、1955年(昭和30年)に区画整理事業によって正式に開園している。
なお、戦時中は、この一帯も空襲による甚大な被害を受け、身元不明の戦災遺体数百体が、この場所に仮埋葬(土葬)されたという暗い記憶を引きずっている(豊島区史編纂委員会編『豊島区史 通史編2』東京都豊島区)。つまり、二つの戦争犯罪(空襲による民間人殺害と捕虜の処刑など)が地理的に重なる稀有な場所となったのだ。


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