ランチタイムで賑わうサンシャインシティとその近辺を歩くと、とてもそのような凄惨な出来事があったとは思えない穏やかな時が流れている。どれだけ想像力を駆使しても、被害と加害の底知れない暗がりは、頑丈なフレームのような地形とわずかばかりの碑と石を残して、真昼の明るさの中に消え去ったかに見える……。
1952年、巣鴨戦犯刑務所の日本政府への移管を期に巣鴨刑務所官となり、1958年まで刑務官として勤務した織田文二は、現在の東池袋中央公園について、「昔を知る人にとってはあまりにも酷いという心境である」と吐露した(『巣鴨プリズン記録写真集 今のサンシャイン60は昔の巣鴨戦犯刑務所だった』丘書房)。
なぜなら、そこには「五つ塚」と呼ばれる絞首台跡があったからだ。プリズン内にあった計5基の絞首台が取り壊された際、それぞれの絞首台跡に卵形の土盛りの塚が築かれた。前出の織田は、「塚の前にはコンクリートの祭壇が造られ」、「塚と塚の間には樹木が植えてあった」。「塚の上は芝生を植え、白ペンキで塗った木版が置かれていた」と述べている(同上)。
戦争や戦犯のイメージを素早く払拭し変貌を遂げた
世界最速(当時)のエレベーターを持つ超高層ビルへの変貌は、戦争や戦犯のイメージを素早く払拭し、圧倒的な技術力を誇る日本の再生を内外に示すための未曽有のプロジェクトでもあった。容器(境界が分かる道路)はそのままに中身を全部作り変える、センシティブな部分だけは公園にして――。
記事冒頭にて、若い読者の中には、サンシャイン60の過去を知らない人も多いのではと記した。歴史は語り継ぎながらも、土地のイメージについては刷新させる。そう聞くとネガティブなイメージを抱く人もいるかもしれないが、土地の限られた東京では必要な行為だろうし、痕跡はゼロにはできないものだ。
その点、サンシャイン60は、思い切った開発史そのものが、最大の痕跡になっているといえるかもしれない。



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